パンデミックと「日本的組織」
【「いま、ここで、できることをする」こと】
数字を冷静に眺めてみると、なんとなくパンデミックの先が見えてきているように見えるが、しばらくは「引きこもり」が続くようだ。ということは、ここで、
(1)ストレスをためない仕事の仕方
(2)この状況で生きていくためにできることをする
という、「頭の転換」が必要だ。
つまり「コロナが終わったら」ではなく「この状況でできることはなにか?」を考え「自分の行動を変える」ということだ。当然、買うものや人との接し方も変える必要がある。代わりに「パンデミックが終わったら」という思考は捨てることだ。逆にパンデミックが「終わった」と、認識されたら、直ぐにその行動と考え方を「パンデミック前に戻す」という変わり身の速さも必要である、と認識しておこう。
【日本的組織はなぜ変われないか】
人は素早く変わることができない。人が変われないと、組織も変わらない。日本の社会は「優れたリーダーが引っ張っていく」のではなく「合議により合意点を探して組織の方向を決定する」。だから、日本の組織ではどうしても「数として多い最底辺の人にあわせる」文化であり、そのために「頭を切り替えるのがより苦手な人」が組織を引っ張る。結果として周囲の環境が劇的に変容しているときには「優れた人」のリーダーシップが必要になるのだが、組織は環境に合わせることができず、組織はその全体で衰退していく可能性が高い。
旧約聖書にあるモーゼが海を渡った故事に例えればわかりやすいだろう。あのとき、モーゼが「割れた海」に多くの人たちが歩き出す決定をしなければ、多くの民は助からなかったが、同時に海を歩いて渡っている最中に、海が元に戻るリスクもあったはずだ。しかし、彼はその決定を下して、多くの人たちが割れた海を歩いて渡り、結果として多くの人たちが助かった。その後、追ってきたエジプト兵は元に戻った海に呑まれて多くの犠牲を出した。もしも、モーゼの「組織」が合議で重要な物事を決定していたとしたら、決定が遅れ、モーゼとともに逃れてきた多くの人たちもまた、エジプト兵と同じ犠牲になった可能性は否定できない。
【日本的組織はスピードの速い変化に弱いのはなぜか?】
「合議」による決定には時間がかかるので、急激な周辺環境の変化にはついていけない。平和で何事もない環境の変化が平坦なときはこの仕組は非常にうまく働く。また、能力のある人もない人も等しく組織の恩恵を受けられ「犠牲」も少ない。しかし「環境の短時間での激変」のときには、その環境に応じて組織の動きの決定を合議している時間はない。「いま」変化が起き「いま」決定し「いま」行動しなければ、組織内の犠牲者が増え、組織が一瞬にして衰退し、守れるはずの組織も、組織内の人も守れなくなる。そういうときを、ヒトは多く経験してきた。おそらく、このパンデミックが起きている現代という時期はそういう時期なのだ。
【この時代に合議で決めるべきこと】
このような時代「合議」で決めるべきは「モーゼを誰にするか」である。「あの人にはついていく」と、より多くの人に言わせ(これをリーダーシップと言う)、その人の決定で大きな損失を組織が受けたのであれば、次の「モーゼ」を探す。「事柄」を合議で決めるのではなく「人」を合議で決める。なにも変化の無い時代には危険な決定である。人は「間違う」ものだからだ。この場合リーダーと決定された「人」は、人身御供とも言える。「責任の所在を明らかにする」。全体的に考えて「組織の危機」と言える状況では決定と動員のスピードが「全て」になるので、どうしても、このやり方で組織の損害を最小限に留める必要が出てくる。