「自然」と「人間」
【自然は人間の思い通りに動かない】
コロナ禍を見てもわかるだろう。人がたくさん集まっていくら祈っても願っても、自然は人間の言うことを聞くことはない。人は自然に従わないと命を無くす。人間という種さえなくなる。しかし自然は人間の社会で起きていることはどうでもいい。自然は人間のいうことや思っていることは聞く耳を持たない。
【人間は自然の中でしか生きられないから】
人間は自然の中でしか生きられないから、人間は自然の言うことを正確に聞いて、それに従う必要が、どうしてもある。しかし、自然は、わかりやすく語ること、どころか、人間の言葉でさえ語ることはない。自然とは人間にとって「物言わぬ暴君」である。自然が人間に死刑執行するときでさえ、無言で、かつ突然に行う。人間はその暴君の行動を観察し、暴君が何を考え、何を欲しているかを知り、自然の合間でなんとか生きていくしかない。
【「知ること」は人が唯一持っている武器】
人間はその自然の中で生き抜くため、自然を知る必要がある。そのための人間の持つ武器は科学であり数字である。では「自然」とはなんなのか?
1+1=2
これ以外の答えはない。いくら大きなお金を持つ投資家や、王侯貴族が望んでも、その「=」の右側は、2以外の答えを認めない。これが自然というものだ。私たちはこの小学生でもわかる数字を元に、複雑でかんたんには伺いしれない上に暴君である自然を知る手がかりを得る。そして人間という種がいかに生き残るか、その手がかりを掴む。
【科学は自然を知り人間が生き残るためにある】
科学は人間が自然を知ることによって、人間が生き残る手立てを見つけるためのものであるから、人の世の中ではなく、人の世の外側にある自然と闘う、人が唯一持った武器である。まだまだ頼りない武器ではあるけれども、私たち人間が持つ武器はこれしかない。
【人間は忘れやすいから】
しかし、人間は人間社会の中でだけ長く生きていると、その人間社会そのものが自然に生かされているだけだ、という事実を忘れる。自然と直に触れて、自然を知る最前線にいる科学者が鳴らす警鐘は人間社会に響かないことも多い。自然という暴君は、ときどき、その忘れやすい人間に「自然の存在を忘れるな」と、厳しい鉄槌を下す。この経験が人の生きる緊張感を高める。
忘れかけた自然を取り戻す、ということは、こういうことだ。