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「神の手」はもぎ取られた。

【捨てられた「神の手」理論】
スティグリッツも結局、資本主義における「神の手」理論を捨てた。資本主義社会の現状はよりひどい貧富の差であることは明白となったので、それまでの縄文時代のマクロ経済理論から無責任に言っていた「神の手」理論で「資本主義のより優勢な地位」を言えなくなってしまった。

【アンチテーゼも同じだった】
では、社会主義・共産主義はどうなのか?これも資本主義のアンチテーゼとして産まれたという出自がある以上、人間の歴史の上では資本主義と同じ基盤の上にある思想であって、根っこは同じ、と言えるだろう。一方の社会主義だって、結局は新しい独裁を産んだだけだった。

では、その「同じ根っこ」とは何か。

【産業革命から産まれた「溢れる富」の行方】
それは産業革命である。産業革命のため、人間一人あたりの生産性が飛躍的に上がったので、経済活動の「アガリ」がより多くなり、社会に富が溢れたのだ。この「有り余る富」は実は人間が発見したエネルギーの短期間での激増であり、実はそれが私たち人間の社会を支える自然の、人間の歴史以前からの大いなる蓄積であったのは、後に私たちは科学によって知ることになる。

【富の配分】
しかし目の前に一時的に余った富をいかに配分して後々の人類繁栄につなげるか、が大きな問題だった。この余った富の分配に使われたのが「地域政府」という仕組みであった。しかし、その地域政府には誰もが納得する「規則」がなく、余った富は偏りがちだった。そこで、「資本主義」という規則を作り出す基礎となる考え方をまず作った。しかし、それも実際に運用してみると「貧富の差」を作り、資本家と労働者資本家側に端的に富が偏在してしまった。そこで出てきたのが「社会主義」であった。

【階級闘争は幻に終わった】
そこで、出てきたのが「階級闘争」の理論である。貧富の差を縮めたいと思うのは「貧しい人」であり、その格差を是とするのが「富を持つ人」だった。ところがこの闘争のさなかで「貧しい人」の側の中でも貧富の差が生まれ、収拾がつかなくなったのだ。

【富は時間と共に減っていく】
そうこうして、溢れる富を使って兵器を作り、それぞれの地域で分断した人たちの塊どうしで「土地争い」をしたが、時間が経ち気がつけば、全ての富の源泉となっていた「地球の恵み」が減り始め、一方、人の社会での富の消費は増えた。そして地球全体はまた貧しいところに行こうとしている。それが今だ。

【地域を治める者たち】
私達は、持っている富に満足する、ということができず、チカラでそれを奪い合い争った。しかし、社会主義の地域は、その管理者に独占欲があり、資本主義の地域も同じだった。結果として、社会主義は本来の社会主義として機能せず、資本主義は富の流れを独占する管理者によって「神の手」や「市場」が意味をなさなくなった。

【消えた「神の手」】
もともと「神の手」理論は、その社会にいる構成員の誰もが、独占の意思を持たず、他人を欺くことは無い、という前提のもとに、有効な理論だった。また、正しい事実に基づいた情報が等しく多くの構成員に行き、かつそれが正しく解釈でき、その思考の結果を必ず正しい行動にすることが前提である。この前提が崩れれば、当然「神の手」の効果はないことになる。

愚かな、と今は思うが、それがおそらく人類の自画像だ。

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