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「運」の研究

【運は目の前を通り過ぎる】
「運」とは、恐らく、ほとんど誰の目の前も通り過ぎているものだ。誰にもチャンスの瞬間はあるのかも知れない。

【運をつかまえるためには勉強が必要】
ただし、目の前をそれが通り過ぎるとき「それ」が通り過ぎるのが見えなければならない。そして、見えたら、見えているチャンスに手を伸ばして掴むことができるかどうか?だ。この2つの動作ができるようになるには毎日の不断の勉強しかない。多くの人はまずそれが目の前を通り過ぎていることが見えない。

それが自分の実感だ。

【自分の体験】
自分がすごく運が良かった、という感じはあまりない。ただしベストセラーになる本を書かせていただいたときは、そこで人生が変わったとは思う。その時を思い出す。

【ITの実地での勉強】
ぼくは、技術者としてまだITという言葉のなかったアナログ技術とデジタル技術の業界で常にハードウェアやソフトウエアの勉強をしつつ、仕事をしていた。

【大学時代の「編集道」修行】
大学を卒業するまで、アルバイトで教育系の出版社で編集のアルバイトをした。そこは「編集道」というのがあれば、それを体現したようなところで、文章の書き方をさんざん叩き込まれた。大変に厳しかったことだけが今も記憶に残っている。

【「それ」が目の前を通った】
そして仕事のデジタルモノの開発をしていた毎日、大学時代の知人が声をかけてくれた。ハイテク系出版社の編集者だった。

そうか。技術がわかる人はいっぱいいる。しかし技術がわかって、かつ文章の修行をした人はほとんどいない。つまり、自分の他にその仕事をできる人は自分の周囲にはいなかった。そりゃそうだ。本の編集という全く文系の仕事と、ハードウェアの設計と開発、ソフトウエア・通信という分野は全く違う。どちらも生半可にできるものではない。あの当時、この2つの分野の関連は全く無い。その関係の本を書く、という以外は。

ぼくはそのチャンスを見て、掴んだ。

そのとき、オーディオの技術者からコンピュータ技術者に転職し、ハードウェアを作り、ソフトウェアを組んでいた、三流大学の工学部を出た技術者だったぼくは、そこにチャンスが見えたんだな。ただ、そんなに確かなものではなく、そういうものだな、という程度ではあった。確信して始めた、と思えるようになったのは、ずっと後の話だ。

わかるかい?

そういうことさ。

どこぞの一流大学の教授よりもぼくの本は圧倒的に売れた。誰か嫉妬する人がいても当たり前とも思う。勉強とチャンスの関係はそんなものだ。

【チャンスは偶然だが】
そしてチャンスは偶然でしかない。いくら不断の勉強を重ねても、チャンスが目の前を通らない場合だってあるだろう。だから凄い実力を持っていながら、全く世に出ていかない人も多く見た。正直に言えば自分は恵まれている、とも思った。

ただ、こういう道を選んでここに来たというよりは、運命に導かれてここにいる、とも思う。

運が良かった?振り返れば、そうかも知れないが、そんなことは考えずにここまで走ってきた。そんな感じがするだけだ。

【時代の変化も運なのか】
私の本は、シリーズで3冊出たが、出版毎にレベルが上っていった。1冊目を書いたときには、2冊目の本は書ける技術は無かった。2冊目を書いたときには3冊目を書く技術はなかった。勉強して自分のレベルを上げて行きながら書いたので、読者には「出来上がった完璧な先生が書く本」では無かったからだと思うが「わかりやすい。納得できる」という評価をいただくことが多かった。

加えて、世間もアナログ技術からデジタル技術への移行期だった。大学の先生でもこの分野をちゃんとわかっている人は全くと言っていいほど、いなかったから、米国にしょっちゅう行っては新たな技術を持つ人たちと交流して実際にものを作っている自分たちに、大学の先生が聞きに来た。抑えつける権威などの天井が自分たちには無かった。今から思い出せば、この大きな社会の変化の予兆がエキサイティングで、刺激のない日は無く、若い自分には毎日がお祭りのようだった。

日本は当時「Japan as No.1」という本が米国で出るほどの勢いがあった。日本人に産まれた自分は、やはりラッキーだと思った。世界の最先端の技術が日本にいながら、日本語で、いち早く日本人の手に入った。米国にはその種を探しに行く、という感じだった。

【「その時」のために】
いいか。「その時」の為に常に勉強は怠るな。こんな自分が他の人にアドバイスできることがあるとするならば、それだけだ。

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