「英語」から「宗教とはなんだ?」まで考えたお話。
【英語の勉強をしていたら聖書に当たったんだが】
高校の英語科目で赤点をとって、で、猛勉強した、というよりは、むしろ「楽しく勉強できるのってこれかなぁ?」と思って、最初は米国発のブルーグラスの歌詞の翻訳をはじめた。そうしたら、そこに出てきたのは何かと出てくる「神」とか「聖書のエピソード」とか「単語」なんだね。で、後で仕事で米国に行けば、パーティジョークでも聖書を知っていないと一緒に笑えないものがあったりして「英語を勉強するなら聖書の知識は必須だよなぁ」というところに突き当たった。とは言うものの、英語で聖書を読むのはハードルが高く、仕方なく日本語訳の聖書を読んでみた、という情けない話で恐縮だが、まぁ、そんなものだった。だって自分は日本語で育った日本人だし。
ほら、おどろいたとき「おーまいがー!」って言うじゃないですか。あれは「Oh My God!(おお!神よ! - 信じられない!)」って言うことだし。欧米の社会で生きる人には、キリスト教・聖書、というのは、やはり幼少の頃から染み付いている「教養」なんだな。だから、英語の勉強で聖書とかキリスト教に当たらないほうがおかしい。
【聖書を読んでいて見つけたもの】
旧約聖書は昔から映画の題材で結構取り上げられていて、今であればYouTubeでそれらの映画を見ることができただろう。そこで映像を見ながら、英語の勉強もできたと思う。私のときはYouTubeどころかインターネットも無かったから、日本語訳の分厚い「聖書」、「旧約」「新約」を読んでみた。眠くなったが、ある日「マタイによる福音書」に以下の記述を見つけた。
●マタイによる福音書、10:34~10:37。 10:34 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。 10:35 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。 10:36 こうして、自分の家族の者が敵となる。 10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
その後、この記述について、キリスト教や聖書について詳しそうな人に、あちこちに聞いて回ったのだが、要するに「神は人間より上にいる存在だから、人間の愛情などはちっぽけなものだ」みたいな説明しか得られなかった。ここから、自分の「宗教への懐疑」ってのが始まったんだな。今にして思えば。しかしね、普通に見てこれ、オウムなんとかのことを思い出させるよね。いいの?これ?みたいな。
【要するに宗教とはそういうもの、ってことだね】
結局、理解したのは「宗教ってのはそういうものなんだ」「だから戦争ってなくならないんだ」ってことだね。一例として、だけど、キリスト教で言うところの「愛」は、あくまで人から神に向かったもので、親兄弟への愛よりも高いところにあることになっていて、人であれば絶対的に要求される。でも神から人には「慈悲を垂れる」になるだけで、それは保証されることはない。なんか不公平だよなぁ、と、言うことで「人と神との間の契約」って、要するに「不平等条約」なんじゃね?とか思ったりする。人は神にマウントを取られっぱなしになる、というもの。それが宗教なんでしょうね。いや、人には命の限りがあるし、もともとハンデはあるわけで、まぁ、しょうがないんじゃね?というところではあって。今となっては、「オレはそこまでマゾじゃないけどねぇ」ということになりそうな感じがある。いや、それが好きなひとも一部にはいるんでしょうね、くらいにしか思えないわけで。
【皮肉屋もいるんだが】
イングランドの古い文学者で「バーナード・ショウ」って人がいるんだが、この人はシェイクスピアとか聖書の言葉の皮肉を良く言っていて、たとえば
「結婚は天で成される(←ここまでが聖書の言葉)。
離婚は二人が天から降りてきたときに成される」(→ぐさっ!)
「できる者は実行する。できない者が教える」(→ぐさぐさっ!)
なんてのが有名だ。
要するに20世紀も後半になると、西欧社会でもキリスト教ファンダメンタリスト(聖書の内容をそのまま信じる人たち)は減っていって、頭の良い皮肉屋のネタにされていくわけで、おそらく、あらゆる宗教が、いま、そういう道を辿っていっているんでしょうね。なにせ地球は丸い、ってのは今や常識だから、例えば他の宗教でも「どっちを向いても「メッカの方角」になっちゃう」わけで、どっち向いて礼拝すればいいのかわからなくなるしね。地図を見たって「メルカトル図法だとこっち、他の図法だとあっち、地球儀だとどっち向いてもOK」みたいになるし。ある宗教における信者の一体感というのは、もう作れないんだな。
【デジタルが変えた「人間という存在」】
結局、今となっては「地域」の垣根もかなり薄くなってきていて、「今日のコロナ感染について、パリはどうかな?」とか、スマホに向かえばわかるし、フランス語を知らなくても、Googleで機械翻訳すれば大筋はわかる。人類とは「インターネットを持つ生き物」になったんだな。そういう「人間という存在」の変化に、現在の宗教ってついていけないんだろうな、と思ったりする。「地域」がなくなって「囲い込み」ができないし、信者間の一体感も作れなくなってきたからね。
西欧社会でも「神は死んだ」という人もずいぶん前にいたので、「インターネットは神の息の根を止めた」のかも知れないなぁ、とは思う。
【英語は面白い】
こんなふうに英語を勉強していると、単語一つひとつの由来とか、語源とか、言い回しの面白さとか、そういうものに出会ってのめり込んでいく。そうすると、こんな世界も開けて、面白いよ、という話なんだけど。