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ピアニストには「蛮族とAIがいる」時代。

【ピアノコンクールの入賞者とそうでない人の違い】
ピアノコンクールの入賞者と入賞できなかった人の演奏は何が違うのか?について、この記事が面白い研究をしている。そこからの引用をすると、以下になる。

「合格者の演奏では、楽譜に明示されていない部分であっても、フレーズの終わりで速度を落とすなど細やかな表現を加えることで、曲の情感を豊かに伝えていたことが分かる。」

【「楽譜以上」を演奏で作る】
つまり、ピアノ演奏でもなんでも「楽譜通り」は「当たり前」であり「当たり前以上」の表現、言い換えれば「楽譜から読み取れる以上の作曲者の意図」あるいは「楽譜から読み取れる以上の審査員の好み」に合わせた演奏ができるかどうか?が重要なんだね。

【優秀なピアノ演奏生成AIの可能性】
そして、このデータからの統計を総合して「ピアノ演奏生成AI」の演奏を、審査員のブラインドテストでやれば、おそらくピアノコンテスト優勝確実な生成AIが作れる。

これを、ショパンコンクールなんかでもやってみたいね。人間のプライドが邪魔してできないだろうけどね。音声データから、勝手にMIDIデータ作れるので、外野が勝手にやると思うけどね。

ホロヴィッツは「ピアニストにはユダヤ人とホモと下手くそしかいない」と言ったそうだが、現代にあってはそこに「AI」が加わるのかもしれない。

そういう世の中を作るのが、おそらくぼくらの役目になるだろう。

【プログラマーとは「質を量に変換する仕事」】
かつて、東大で日本で最初のほうのコンピュータを見聞きしたことのある安部公房が「プログラマの仕事とは、質を量に変換することだ」と、作中で語っていたが、このピアノ演奏の解析を見ると本質を言い当てている、と私は思う。してみると、現代というこの時代は、質は数字で表現できる量にものすごいスピードで大量に変換され、それが大衆化していく時代なんだろうな、と思うわけですね。量子コンピュータがそれを加速し、宇宙から衛星インターネットがそれを急激に地球上に広める。

【自分の勉強の足りなさは「ある」】
おそらく、長く訓練をしてきた人たちからの反発を恐れずに言えば、ゆめゆめ「これはAIにはできない」とは言わない方がいい、と思う。それはあなたという人間の持つ想像力と手にしたテクノロジーの限界を示しているに過ぎないからだ。つまり、勉強が足りないのだ。

【ピアニストには、蛮族とAIがいる時代】
先日亡くなったピアニストの中村紘子さんの著書になるが、そのエッセイ「ピアニストという蛮族がいる」などを読んで大変に面白い、と思った。自らの興味からだろう、生き生きと、よく調べられている資料のなかに、自らその世界に子供の頃からいて、多くの巨匠と言われる人々の中で見聞きした様々なエピソードなどが散りばめられ、後世に残る貴重な音楽史の資料にもなり得ていると私は思う。しかも、彼女は日本の良家の女子としての不躾もしっかりしている、という基礎があるので、かろうじて「蛮族」の近くにはいても本人は蛮族にはならなかった、という希な立ち位置にいたのだと想像するが(あくまでも想像するだけですが - 失礼)、そのご家庭での振る舞いは私の知るところではないにしろ、夫であった作家の庄司薫氏の苦労は、かなりのものであったのではないかと、彼女の前述のエッセイの一節に書かれた「ピアニストを女房にするのはやめた方がいい」という忠告から、私は勝手に想像する、のだが。

多くの海外も含めたピアノコンクールの審査員もつとめた彼女が亡くなったいま、改めてお伺いしようもないことだが、この「生成AI」の時代について、何が聞けるか。聞いてみたかった、と思うのは私だけではないだろう。

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