「レミングの群れ」を思え。
【「噂話」をどう扱うか?】
ところで、ぼくは朝から、というか、ほとんど毎日、テレビを見る習慣が20年以上無い。起きたらそのときから日々の生活が始まり、仕事があり、ニュースはネットで見れば十分。他人の噂話は、周囲の誰かがしていれば聞くことはあるが、特に意見はない。自分がその噂話に登場する人に影響を与えることもできないし、自分が影響を受けることもないからだ。それは時間の浪費のように思えてしまう。多くの場合は、他人の噂話は聞き流す。
【それは事実か?が揺らぐ時代】
ネットニュースでも、マスコミのニュースでも、タレントの不倫だのなんだののニュースが流れる。そこに何らかの時代の変わり目を示す興味深い事実があれば、それに注目をすることもないではないが、今や話も映像もAIの発達もあって、その「事実として知らされるもの」が「事実であるかどうか」の検証から入らなければならない時代に入ってきたと思う。
●広末涼子の「不倫」は問題なのか?
●広末涼子の「不倫」はあったことなのか?
●広末涼子の「不倫」の登場人物はリアルな人なのか?
●広末涼子というタレントは本当にリアルな人間なのか?
●そもそも、広末涼子とは、元々いなかったキャラクターではないのか?それは情報として作られて流されていて、私達はそれを受け取って本当のこと、としているだけではないのか?ライブの壇上の彼女もCGで作れるではないか?今なら。
私達は、今、自分にやってくる情報をこういう目で見なければならない時代に入ったのではないか?
【戦争は本当なのか?】
例えば、地球上のどこかの地域で戦争が始まった、という報道。その映像の数々。それは現地にいる信頼できる親しい友人の危機を知らせるものであれば、それは自分の行動に大きな変化を与えるだろう。しかし、ネット、マスコミに流れる映像や文言は本当か?フェイクではないのか?それらは何らか違う意図で作られたものではないのか?それが本当のことであると、誰がどのように保証するのか?それを疑ってかからなければならない時代に、人類は突入した。
【それを見て、確かめたのか?が「自分の認知範囲」】
私たち人間は本来、自分の目で見て自分の手で触って確かめることができないものは、自分とは関係ないこととして無視して生きてきた。人の生きる範囲とはそういうものだった。
【人間のコロニーの拡大の必然】
しかし、人間と言う種が栄え、人間のコロニー・社会が範囲を広めると、私たちは自分の目で見て触って確かめられる物事の範囲を超えて、物事を認知し、それを自分の行動に反映する必要に迫られ、そこに遠隔地とのコミュニケーション手段が必要になった。また、人間は外敵から自分のコミュニケーション手段を使って出来上がった巨大なコロニーを守るため、あるいはコロニー同士の戦いなどを行ったり、それを避けるために、コロニー外の別のコロニーとの通信手段を発達させた。
【人間のコロニーの外部と内部の統一】
さらにコロニー内の各人に、コロニー外の誰が敵で誰が味方であるかの同じ情報を流して、認識を同じくする必要があり、また、コロニー外に向かっての戦いのためにも、コロニー内の各人の共同作業のためにも、認識を1つにする必要があった。
そのため通信手段の「マスコミ化」ができた。
【フェイク情報は自殺するレミングの群れを作る】
しかし、ここに「フェイク情報」が混ざると、どうなるか?
よく言われる話に「レミングの群れの集団自殺」がある。
人間の集団の行ってはならない方向に、人間の集団がフェイク情報で誘いこまれ、そのコロニーごと抹殺する、という「コロニーどうしの戦いかた(情報戦)」も出てきた。
【「人よ。資本論を抱えて眠れ」】
私たちはまた、資本論の、分厚い、今となっては誰も読むこともない本を抱えて、自分の生きる範囲数メートル四方の世界に戻るしかないのか?
おそらく、人類の終わりは、目に見えない・情報手段を頼るしかない広大な範囲の人間と言う種の勢力範囲内の信頼関係の崩壊ではじまるのだろう。おそらく、そういうときが目の前に来ているのではないか?
【なぜAIは「幻覚」を吐き出すのか?】
デジタル技術、インターネット、人工知能などが、結果として我々のこの社会にフェイクの「幻覚」を吐き出しているのは、案外、人の社会の向かっている、そういう方向へ向かっているからなんじゃないか?
などと、最近は思ったりします。