装うということ
#会えない時代になぜ装う とのお題があったので考えてみたい。
装うとはどう言う事だろうか?
「よそおう」とても発音しづらい。滑舌が悪い私には難しい音の言葉に感じる。
よそお・うよそほふ[3] [0]【装う・▽粧う】
(動ワ五[ハ四])
〔動詞「装よそふ」の未然形に、継続の助動詞「ふ」の付いた「よそはふ」の転〕
①立派な衣服や装身具で身なりをととのえる。正装する。「絹のドレスに身を━・った夫人」
②実際はそうではないのに、いかにもそうであるかのように見せかける。「学生を━・う」「犯人は客を━・って店に入った」
③出発の準備をととのえる。「一人の男小舟を━・ひ此方へ向つて漕ぎ出せしが/いさなとり露伴」
④衣服・用具などを身につける。「王公卿相、花の袂を━・ひ、玉のくつばみをならべ/平家物語八」
最近お世話になることが多い、大辞林より
人に直接会う事が極端に少なくなったと感じているが果たしてそうだろうか?
これまで通勤電車に揺られ、オフィスで席について仕事して、たまに会議やお客様を訪問して、仕事終わりに仲間と飲みに行き、帰宅する。そんな毎日の繰り返し。それが在宅での仕事ができるようになり、外出が減った頃から必要な人と必要なコミュニケーションはむしろ多くなった様に感じている。
WEB会議だと顔アップだし。
そう考えると、これまでちゃんと人に会うことはそれほど多くなかった。それなのにどうして装う必要があったのか?それは大多数の見知らぬ、すれ違うだけの人のために、恥ずかしくない格好をしていたからなのかと思ったりする。
それ以外にはどんな理由があるだろうか?
男性である自分はスーツを着ることが好きで、ビジネスカジュアルとかめんどくさいと感じる(選ぶのとか)。ネクタイをして上着をきるだけで、なんだか良い感じの鎧と盾を装着した気分になる。メガネをかければ兜も装着した感じで完璧だ。
オフィスが必要かと言うお題の時にこんな事を考えた。
サラリーマンの仕事を非日常と考えたところから思うと、非日常の戦場に立つにはこれくらいの装備と覚悟が必要だと思ったのだろう。覚悟とは気持ちを切り替え、意識を集中させることと言える。
仕事において成果を出すことを求められるのだから当然そうなるのだと考えている。
仕事と関係ないところではどうだろうか?
やはり同じく、日常から切り替える時は装う必要があるのだろう。だから気分を変えるためにおしゃれしたくなるのだ。
これは人に会えないとか関係なく、自分にとって必要な儀式のようなものだと思える。誰にみられるとかではなく、自分がありたい姿を思い描き、そこに近づくために装うことで、気持ちも態度もあらゆる事がその場に意識を向け、所作や立ち振る舞いが影響を受けるのだと思う。
「よそおう」が発音しづらい理由は不明なままだが(母音が続くから?)、何かする時、装う事は必要な事だと思う。