働くことの移り変わり
私らしい働き方はどんなものか改めて考える機会として投稿してみたいと思います。
働くことと生活することとお金を稼ぐこと
「働く」に対して切っても切れないのが生活と収入だと考えていますが、収入のために働くのかと言われると以前はそうだったと思うし、時代もそんな感じだったのではないかと思います。
良い暮らしをするために、できるだけ稼げる仕事に就いて働く、もしくは安定した仕事に就いて働くみたいな感じで言われていることが多かったと思います。
ゲームが子どもだけのおもちゃだと言われ大人たちに遊ぶな、勉強しろと言われていた頃と同じ感じ。
変わった働くの意味
生活のため、暮らしのため、稼ぐことについては今もそのままの意味で働くことを表すと思いますが、それは昔よりも割合が小さく、少なくなったと考えています。
これは生き方や在り方が多様になったために、「働く」にある別の側面に焦点が当たり始めたからであり、人が人としてあることの意味でもあるように思っています。生きるために狩りをするだけの動物ではない。
昔から、お金にならないけど自分を表現するためだったり誰かのためだったりを仕事としている方々はいましたが、それにはとても力が必要で極端に集中することが求められたり、何かを諦めることも厭わない覚悟のようなものがあったと思います。
それが少しだけ一般化して、先人の努力で誰でもそんな世界を目指してもいいんだよ示された事と、世の中がそんな在り方に寛容になってきた影響ではないかと思っています。
これってゲームがスポーツだと言われて、子どものおもちゃの枠を外れ、競い合う事や学ぶ事ができるものだとみんなが認識してくれたことに近いように思います。ゲームネタが続いたけど、これはここまで。
変わったのはマインド
では、いま私はどのようなはたらき方をしているのか。
一言でいうと「やりたいことをやっている!」です。企業に属しているときとあまりかわらない気もしますが、やはりその時よりも数段やりたいことのレベルが上がっている気がします。そしてそれははたらくと言う言葉の定義からして見直す必要があるのではないかと思えるほどマインドが大きく変化しています。
そんな再定義・再構築の話は別で書きたいなと思いますが、だからこそ働くことが楽しいと思える今の暮らしはこの先も楽しいと信じることができるのです。