第17話 3ヶ月毎日500枚のチラシ配り、しかし反応はゼロ
3つの学校に同時に通い、タダの1年間の修行を経て、いよいよ起業である。
とにかくゼロから始めたかったので、親戚縁者に頼らないことを決めていた。意地もあるが、そこから始めるとビジネスモデルの成否が見えなくなると考えたからだ。
事業内容は、自分に出来ることから始めようと考え、「お庭の便利屋」から始めることにした。
ちょとした剪定、植え替え、造作。
では、事業を展開するエリアは、どこから始めるか?
僕が起業準備を始めたときは、子供の送迎で妻の役に立っていた。なので、送迎が可能な場所となると自宅近辺での起業になる。
この仕事は、車と道具が必要なので、その置き場がいる。車は近所の駐車場を借り、脚立や工具の置き場は、たまたま自宅から50メートルの場所に借りることができた。事務所は自宅で登記した。
勝算はこう描いていた。
渋谷、杉並は、資金に余裕のありそうな方々が住んでいるお屋敷が結構ある。そこのお庭のメンテナンスは、見ていると八王子とか大宮から年に1度か2度、大人数でバッと来てバッと剪定して帰るという感じだった。
それに対して僕は子供の送迎があるので、渋谷で開業せざるを得ないことを逆手にとれる。渋谷の住所で募集すれば「近所で気軽に頼みやすい!」となると考えた。賃料が高い渋谷でわざわざ植木屋を開業する人はいない。
しかも「半日サービス」を売りにした。実際本格的なサービスを提供する技量を当時は持ち合わせていなかったので、半日で出来るくらいの内容の方が失敗リスクが少ないと考えた。
一方で、いい方に集まっていただくには、ミッション(企業使命)をしっかり定めていることも大事だ。ビジネスの形態を模索するのと同時に考えていた。
「お客様とお庭の程良い距離感作りをする会社」
と定めた。
次に集客。
自分でWordでA4版のチラシを作り、近所の戸建てに、自分の足でポスティングしていった。毎日500部。半日以上かかるときもある。それをまずは2週間続けた。
起業する前から自宅に入るチラシは集めていた。広告の本もたくさん買って読み込んだ。チラシは、自宅のコピー機で色紙に印刷していたので、内容は少しずつ毎日変えていた。
結果は?
ゼロ。
チラシを配り始めてから1か月間、電話は1本もかかって来なかった。
ビジネスモデルは悪くないし、チラシも研究して作っているのに、、?
エリート銀行員の初めての挫折になる。
さすがに焦った。
ただ、僕はいつも運がいい。
しかしそれは待っていては訪れず、動いているから起こる。
そもそも、この業界でやっていくことを決めてから、とにかく業界の色々な人に会うことを決めていた。
専門学校の先生は自分でも仕事をしている方が多い。連絡先を調べて授業とは別のタイミングで電話をかけ、先生の会社に話を聞きに行った。ずいぶんお会いした。
そのおかげで、お花屋さんも、貸植木屋さんも、自分は違うなと判断できた。
結構会っていただけるので、起業を考えている方は「先生」は狙い目だとお伝えしたい。
そんな動きをしているうちに、紹介の紹介という形で、植木職人をやっている若い方とお話する機会を得た。
その方には「業界のお話を聞きたい」という理由でお会いした。そのお話のなかで、僕がどんな会社を作りたいかのお話もさせていただき、いい方がいれば紹介してほしいともお願いしていた。
最初から「一人でしばらくやってみて、、」という気はなく、いい方がいれば、開業当時から一緒にやりたいと思っていたからだ。
その方とお会いした翌日。
「僕ではダメですか?」と、その方から電話があったのだ。
その方はお勤めになっていたので、そのご本人が来て下さると思っていなかったのでびっくりした。僕の会社への想いに共感して下さったそうだ。
「動けば道は開ける」
その方が来て下さることになってから、チラシが一変する。
出来るメニューが変わったからだ。
マーケティングの本も大量に読み、セミナーにも通って、チラシを改善に改善を重ねてきた成果とも相まって、電話もかかって来るようになった。
最初の1本目の電話は、起業から3か月後だった。