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心の平安

どうすれば、心が平安になれるのか?


人類の歴史と同じくらい、心の平安を求めて探求し、宗教、心理学、瞑想、スピリチュアル,などが発生、発展してきたのではないかと思う。



この類いの書籍、YouTube、sns,などでも多くの発信があります。



瞑想、坐禅、次元上昇、自我の消滅、荒業、前世について、荒業、スピリチュアルなどなど、各方面のスピーカーさん達が、



いろいろと方法論や、自己体験、アドバイスなどを発信されています。



人類の永遠のテーマのような気がします。



いきなり解答からいきますね。



心が平安になれる「誰か」「主体」はいない。



人間の脳の仕組みから、不安、心配、恐怖感などが起こってくるようになっている。
それにより、絶滅しないでもいるし、進化もしてきたのではないかと思います。



しかし、それらは、ただ起こっているだけで、、、「誰か」に起こっているだけでではありません。



「平安」も、「不安」も起こっているだけで同じです。
音が聞こえるが起こっている、景色が見えるが起こっているなどと同じことです。



よって、平安を求めるが起こっているだけです。




どうすれば、「心の平安になれるのか」 という質問自体が「主体」ありきの質問であり、
質問の構造自体が矛盾しているのです。



永遠に答えが出ることはありません。




故に、不安も質問もただ起こっているだけです。



「誰か」に起こっているだけではありません。



不安を問題視する、「主体」はいたことがありません。




どうすれば、「心が平安になれるのか」 の解答としましては、



平安になれる「主体」が元々いないので、質問の構造的に矛盾があり、答えの出ない質問である。《解答不能》






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