[理解の反転 1]新聞紙に絵を描いていた少年
ずっと気になっていた出来事や頭の中に鮮やかに残る記憶があって、ある日突然、それまで思い込んでいた自分のその出来事への理解が実は180度違うものだったことに気づく。そんなことが僕には最近起こる。それが自分には衝撃的で、忘れる前に殴り書きのように書くようになった。
1991年の記憶。新聞紙に絵を描いていた少年
美術大学の受験対策のため、僕らはこの頃、予備校に通い、神社仏閣や歴史的な建物を短い時間で木製のパネルに貼った画用紙に水彩画写生として書き上げるトレーニングを積んでいた。予備校の授業がない日には、時々同級生たちと連れ添って古い建物を描きに行った。今思えばのんびりとした受験勉強だと思うが、当時は必死だった。
季節は受験直前の、冬のある日。古い石と煉瓦の建物を短い時間で書き上げるのが僕らのこの日の受験対策だったが、すでに小雨が降り出していて、僕らのやる気は最低で、今日は適当に切り上げて帰ろう、そんなことを周りの受験生と話していたのを覚えている。
その日、一緒に写生に出かけたグループの中に、新聞紙を木製のパネルに貼って来た少年がいた。それは本来貼るべき画用紙でも、白い紙ですらなかった。でも小雨の中、でも彼は真っ直ぐに建物に向かって描き続けていた。そんな彼に誰も何も言わなかった、言えなかった。雨は降り続きあたりは暗くなり、僕らは絵を完成できないまま濡れたパネルをバッグにしまって帰路の電車に乗った。
それから長い間、僕は数年に一度この事を思い出して来た。何の脈絡もなく、誰かに思い出させられているような感じで。その度に僕が思っていたのは、彼が持っていなかったものは画用紙、あるいは(画用紙を買う)お金だったんだと、これは、彼が持っていなかったものについての、貧しさについてのストーリーなんだということだった。
何度も思い出す記憶のなかにある映像のなかでは、彼の姿は見えない。小雨の中、イーゼルにかかったパネル、パネルに貼られた新聞紙、そして彼がまっすぐに描いた水彩の線が既に印刷のある新聞紙にまっすぐにおろされる様子が見える。まっすぐに迷いなく下された緑、紫、紺の混ざった煉瓦か石の色。
2016年のある日、職場から帰宅する、中目黒の駅に向かう地下鉄の中で久しぶりにこのことを思いだした時、突然すべてを理解し、携帯のメモアプリで文章にし、列車を降りる時には涙が出てきた。
僕が覚えていたのは、実は、どんな状況にあっても描き切ることのほうが、描かれた絵の上手下手よりも重要だという強い彼の決意と、その象徴となる映像だった。彼が持っていた強い決意と行動がこのストーリーで一番大事なことなのだと、それを理解するために私は25年かかったのだった。雨のなかで新聞紙の上に建物を描き切った彼は今、大人になって必ずなにかを成し遂げているだろうな、と思う。例えば、なにか素晴らしい建物を設計しているんじゃないだろうか。そうであって欲しい。
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応募原稿はここまで。
思い出せば、2016年は、働きに出ていたソウルで鬱になって、多くを失くして日本に戻ってきて、やっと見つかった仕事を始めてみたら実はデザインの仕事ではなくて、、という辛い時間のなかで、それでも、上手でなくてもいいから、自分自身のもの、作品を作ろう、と動き始めた年だった。ここに書いた2016年の出来事が、その心身の動きの前だったのか、後だったのかは正確にはわからない。でも、大体その頃にこんなことが起こったのは、偶然ではないと思っている。今も、作品の上手い下手よりも、生きている間にどれだけ自分の作品を残せるか、活動を続けられるかのほうがはるかに意味があると思って生きている。たぶん、2016年より前には違った基準が自分の中にあったのだろう。何かに失敗することで、初めて得られる視点もある、ということを身を持って知った数年の、その最後に起こった出来事だと言える。
2022年にラジオへの投稿を機会に書き直して、自分の心の動きの大事な部分、前後で自分に起きていたこととの関係がこうして見えたのは大事だと思う。
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22年10月29日の夕方、JWave aufg lifetime bluesでオダギリジョーさんがこの話を読んでくれた。文章の仔細には手がはいって、聞きやすくなっていた。podcastでは#31として配信されている。僕は一週間後になってpodcastの配信が始まってから、はじめて読まれたことを知った。