トゥール・スレン虐殺博物館*ポルポト政権による大虐殺*カンボジア
2020年2月この日も空は青く、
人々は街で笑い、歩き、過ごしていました。
たった40年前、
ここカンボジアで起きた事、
それは戦争も知らない私には、想像を絶するようなことで、
言葉としては頭に入ってくるけど、
全然理解できないことでした。
ポル・ポト政権時代…
といえば、歴史で習った記憶がある方も多いと思います。
その時、何が起きたのか、覚えている方は
どれくらいいらっしゃるのかな。
*今日の記事は気持ちが暗くなる方もいらっしゃると思います。
苦手な方はページを閉じてくださいね。
私自身、初めての訪問だったためか、この記事を書くのでさえ、
すごく時間がかかって、心の整理がつきませんでした。
写真も、もっとたくさんあるかと思って探したのですが、景色の写真しか撮ることができなかったようです。
この記事についても、説明が分かりにくいところも多々あるかと思います。詳しい歴史が知りたい方は、ご自身で検索してみてくださいm(__)m
1975年に実権を握ったポル・ポト派は、
極端な共産主義思想のもと、
都市の住民らを農村に強制移住させ、
強制労働や拷問、虐殺を繰り返しました。
正確な数字は膨大すぎてわかっていないそうですが、
る約200万人もの方が犠牲になったとされています。
先日ご紹介した、バーベキューレストランのネスさんの
おじいさん、お父さんも、この時代の犠牲者だそうです…。
まだまだ人々の心に残っている時代のことなんです。
【トゥール・スレン虐殺博物館】
1時間、音声ガイドを聞きながら歩いて見てまわりました。
1時間、1回では理解できませんでした。
いや、理解したくなかったというのが本音かもしれません。
実際に収容されていた部屋がそのまま残されていたり、
収容されていた方の顔写真があったり、
どのような拷問が行われていたかの写真や絵が残っていたり…
気持ちはどんどん重くなります。
木に手と足を吊るされて運ぶ様子のイラスト、
(その収容者が動かなければ、見ている人は死体だと思うくらいの)
水に沈める拷問のイラストや実際に使われていた器具が
残されています。
独房はレンガで作られていて、これは、
今でもカンボジアで使われているレンガです。
そのことも色々考えさせられました。
(レンガは全な家を作ることもできるし、
収容者を苦しめた独房を作ることもできる。)
12,000〜20,000人の方が収容されて、
確認された生存者わずか12名。
ほとんどの方が犠牲になったということです。
色々考えたり、頭が追い付かなかったり、
場の空気に押しつぶされそうになって、
1時間後外に出ると、空が青くて…
胃は気持ち悪いし、感情の整理が全くつきません。
集合時間なので出口に向かって歩いていると、、
実際の生存者の方がいらっしゃいました。
最初、その方たちが、実際の生存者の方とはわかりませんでした。
遠い昔のように感じたかったからかもしれません。
その方たちがどのような気持ちで、
たくさんの人々が犠牲になったこの場所で座っていらっしゃるのか。
私にはまったく想像できません。
ただ、そのお2人はとっても穏やかな表情をされていました。
その表情が全てを物語っているような、そんな気がしました。
お2人の表情は、今でも忘れられません。
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