『 秘密のケンミンショー』のおかげで、海外で陽キャに昇格した
私は人見知りしない人間だった。
どのくらい人見知りをしなかったか?
例えば大学生の頃は、学生らしい距離の詰め方をしていた。
サークルで仲良くなるためには、とりあえずお酒を飲み「ウェーイ」と言って距離を詰めた。頭ではなく肝臓を使うのだ。
アホな大学生活を経て、私は商社の営業ウーマンとなった。
もちろん大学生の頃のようなアホな距離の詰め方は社会では通用しない。
商談で鞄の中からハイボールを取り出して「ナ~ニ持ってんの?」というわけにはいかない。
そのため営業として、初対面の方との「ちゃんとした」距離の詰め方を学ぶことになった。
それは、相手の出方や様子をじっくり観察した上で、じりじりと距離を詰め、ここだという時にがっつり踏み込む術だった。
上司の営業に同行しながら学び、独り立ちしてからはさらに自分なりに工夫して営業をしていった。
この技術は私生活にも応用できるようになった。
職場の上司に紹介してもらったバーに一人で乗り込み、その場に居合わせた見知らぬ方と仲良くなるといったことが多々あった。エグ過ぎてここでは明記できない痴情のもつれ事件や、仕事に対する不安、人生の方向性など様々な話題を、閉店間際まであけっぴろげに話した。その後もたまに連絡を取っては、ご飯を食べる仲になった人もいる。
私はどこに居ても、ちゃんとコミュニケーションが取れる人間だ。
韓国に来ても十分この「コミュ力」を発揮できるはずだった。
ところがだ。
韓国に来てから私は、極度の人見知りになってしまった。
旦那の友達の奥さんと話していても会話が続かない。
韓国に留学していた時から仲良の良い友達(韓国人)とすらも緊張して、うまく言葉が出てこない。
初対面はもちろん、何回か会っている人でさえ極度の緊張感が襲う。
何かがおかしいと考え、悩んでいた私は、社会人になってから習得した「ちゃんとしたコミュニケーション」に短所がある事を見つけた。
それはじっくりと相手の様子を伺うという点だ。
文化の違う土地で変に相手の態度を気にしてしまうのだ。
私は相手にとって不快な発言をしていないか。
面白いと思ってもらえるような共通の話題を提供できているだろうか。
この人はどんな話題に食いつくだろうか。
有益な時間と思ってもらえるような体験を提供できているだろうか。
など、ずるずる考えていると話すことが怖くなってしまう。
しかも外国語で話さないといけないので、頭はパンク寸前だ。
これに加え、私はとある「間」が出来るのを嫌悪している。
相手は現地人で私は外国人。私の韓国語がうまく伝わらず、相手が愛想笑いで「あ~……あはははは」と笑ってくる、この「……」の数秒間に渡り流れる「間」が大嫌いなのだ。
「自分、今、絶対 『この外国人なんて言わはってんのか分からんけど、どないして対処したらよろしいでっしゃろか』って思ったやろ」と反射的に思う。
「面白くもないのにめっちゃ話す困った外国人」って思われたくないと、私のプライドが叫んしまうのだ。
ああだこうだ頭で考えるのに疲れてしまい、テンパることが増えていった結果、極度の人見知りを発症してしまった。
人に会うのがしんどくなってしまい、私は家と一人で完結できるジムの往復をひたすら行うようになった。
そんな私に、人見知りを克服できるチャンスが到来した。
コーヒーの学校に通うことにしたのだ。
これは人見知り克服のためではなく、シンプルに仕事のスキルを上げようと思い通いだした。
私は日本で商社、スターバックスコーヒーでの勤務を経験した後、韓国に来てからコーヒー業界で本格的に働こうと決めた。コーヒーが好きなのはもちろんだが、カフェはどこに行ってもあるので、基本的に仕事に困らないだろうという自分なりの考えを持っていたのだ。そのため、コーヒーに関する知識や関連する資格を取ろうと学校に通い始めた。
私のクラスには様々な年齢や性別の生徒約が10名ほど集まり、一定の期間一緒に切磋琢磨する。
意気揚々と通学を開始し、講座が始まって数週間経った頃。
クラスの中では冗談を言い合うような親しい間柄になった人達が見受けられた。
ところが、私は1人で堂々と「珍しい外国人枠」に居座っていた。
いわゆる、ぼっちだ。
人見知りを正当化させるように「私はコーヒーを学びに来たわけであって、お友達を作りに来たんじゃない」と一匹狼を装いながらも、「仲良くなりたいなあ」と思いながらトボトボと家路についていた。
学校に通い始めて2カ月経ったある日。
いつものごとく休み時間が来ると、スマホで2chの怖い話まとめをネットで見ていた。
ふいに声をかけられた。
髪の毛が青色のギャルだ。このギャルはあまり笑わない。しかもスマホケースがギラギラしていて、私にとっては怖い存在だ。
え、「納豆くせーんだよ」って言われる……?
「あの~、日本ではどのあたりに住んでたんですか?」
と聞かれた。丁寧語で話しかけて来てくれた。拍子抜けした。
「大阪です」
瞬発で答えたが、私は大阪府出身ではない。
兵庫県出身だ。
どうせ兵庫県って言ってもわからへんやろ、しかも関西地方なんか全部大阪みたいなもんやろという、京都人や神戸人が聞いたら殺されそうな傲慢な考えで答えた。
「うそー! じゃ、あれ、あれするんですか?」
彼女が手を拳銃の形にして、私の胸に照準を合わせた。
「パーン!!!」
胸に向かって、発砲された。
「ううっぐ! ぐっはああああ!! オンマ~(お母さん)!」
私は全力で一世一代の大芝居に打って出た。
今笑い取られへんかったら、今後一生気軽に話しかけてもらえへんぞ!
こんなおいしい瞬間一生こおへんかも知れんぞ! 私のリアクションおもろいやろ! 笑え!せいぜい笑いたまえ!
頼む!! 笑ってくれ!!!!!!!!!!!
そんな私を見て、彼女は私の想像以上に笑い、しかも拍手をしながら喜んでくれた。
「やっぱり本当なんだ! インスタで大阪の人はパーン! ってしたら絶対リアクションしてくれるってリールが流れてきて、本当か気になって! 嬉しい~!」
なんだなんだ。
その子は問題の動画を見せてくれた。
それはなんと 『秘密のケンミンショー』だった。
しっかり韓国語に翻訳してある。
スマホの画面には、大阪の人が天神橋筋のど真ん中で、なんちゃって拳銃に撃たれて死に絶えている姿が見える。
今インスタグラムやTikTokのリールでこのような愉快な大阪人の動画が出回っている。
そのため韓国でも「大阪は愉快な街」だというイメージが浸透しているのだ。
私の一世一代の大芝居事件をきっかけに、この様子を見ていたクラスの方々から熱烈に声をかけてもらえるようになった。
ユーモアは心の国境を超える。
自分が勝手に作っていた、心の国境の壁をぶち抜くバズーカ砲だ。
大真面目にふざけ倒した先には、新たな世界が待っている。
「鼻くそをほじれ」とまではいかないが、その勢いで思い切りボケてみるのは大アリだ。
それからは、自分の中にある変な緊張感が無くなり、クラスの人に普通に話しかけたり、授業中にも発言するようになった。皆で時間を作って行う勉強会にも参加するようになり、青髪のギャルとは週に1回は共に外食をし、カフェにも行く仲になった。
私はこの「ベタなボケ」をきっかけに人見知りを克服した。
問題は、「大阪の人は絶対、パーンに対して反応してくれる」というホラを吹いてしまった。
少なくとも、私と同じクラスの生徒はみんなそう思っている。
大阪、そして関西地方の皆様、道すがら急に「パーン!」と胸を射抜かれたらちゃんと反応して欲しい。
それは本当に純粋な韓国の人達の愛情表現なので、しっかりとその胸に受け取って欲しい。
後は頼んだで。
パーン!!!
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