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24/12/27 仕事納めの朝に

今日で仕事納め。思いのほか早起きしてしまって、久しぶりにNoteにペチペチと打ち込んでいる。

今年はあっという間の1年だった。いろいろ経験もした。転職したり、台湾いったり、別れたり、失恋したり。だけど、その瞬間瞬間が、今では古い昔のように出来事として凍結されて、悲しくなったりする。

インスタグラムを辞めたのも大きな日常の変化だったと思う。正直、なくても何とかなる。と感じた。インスタグラムがあったころは遠く離れた友達の動向を知れたり、気軽に連絡を取れたり、週末に会ったりもした。だけど、今年の初めに自由に使える時間ってもっと手元にあってもいいのかなと思った。好きなことをしたり、もっと身近で気軽に会える友達を大切にしたり。そんな時間の使い方を今年はしたいと思った。

ただ、そんなことを言いつつも、今年はお酒を浴びるほど飲み、自分を二日酔いで痛みつけては仕事から逃げ、生きている意味を何とか酒に見出そうとしていた。行きつけのバーも居酒屋も、よく頑張ってると気分を良くしてくれるし、お酒も飲み始めれば仕事のことを忘れることができた。

それも転職して仕事量は1.5倍になったことが原因だと思う。元々、ブラックでおなじみの業界なので文句も言ってられないのが実情。ただ、どれだけ時間をかけて資料を作っても、上司の品質からみたら自分の品質はゴミ程度で、あれやこれやとダメだしされるのは、なかなかチャレンジングだったと思う。

自分の長所は落ち込まないこと。そして短所は学ぼうとしないこと。その場その場で体のいいことをつらつらと述べて、次につながる行動に一向に動かない。気を付けます、次は確認します。とふんわりとした回答をして、その場を切り抜けることだけを考えてきた。ただ、そんなことも言えなくなってきたのが最近である。同じようなミスばかりを繰り返して、抽象的な打ち手ではなくて、具体的な行動原理を決めるルールブックが必要になってきたのである。それを週次の面談の中で見せていくのだが、憂鬱でしかない。

さて、最近本屋に行くと自己啓発本コーナーで「やりたいことの見つけ方」「人生を豊かにするためには」のような長期的な未来を意識した本を見かける。そっか、みんな次の未来を不安がっているんだと思うと、なんだか自分もそれを見て安心してしまう。日々の毎日に不安がっている僕と、将来のことを不安がっている少なくはない人たち。どちらも少し先、遠い先とは違いはあるけれど、何かしらの不安を抱えているんだと思う。正直、将来の未来なんてわからないし、日々生きるだけで精いっぱいで、おつりなんてでれば最高なんて人生だから。遠い未来を不安がれる人をうらやましかったりもする。妬み嫉みなんだろな。

今日はゆっくり寝よう。そして明日はドライブに行こうかな。
あとは日光をたくさん浴びたい。お酒を浴びるほど飲むんじゃなくてさ。

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