糞みたいな世界で楽しく生きていきたい
生きていれば辛いことだらけだ。それは日常的なもんで、飯を食らうと糞をするような頻度で平等に訪れる。そりゃあ、褐色がかった吐しゃ物みたいな糞を見たら気分が悪くなる。だが、キショい糞を便所以外でまき散らしたら駄目だ。ましてやぶん投げたり、まじまじと大事な人に見せつけるなんて、こっちが見ていて吐き気がする。だから、糞をしたら便座を占めて流さなくてはならない。トイレの常識だ。
しかし、糞を投げつけては周りを不快にさせてる輩を時々見かける。日々の恵まれない境遇を吐き捨てては、そうだよな、そうだよなと顔を近づけてくる。声がでかくなって耳がキンキンして、パチンコみたいにやってられなくなる。特定の誰かを標的にするって奴もいる。こういう奴は大抵、別の場所で俺の悪口を言ってるし、妙に好かれてメンヘラ化するからたまったもんじゃない。比べて、説教じみたことを垂れ流す港区のジジイのほうがよっぽど楽だ。お経みたいに解読不可能だから、寝ない程度に頷いていれば勝手に相手が心地よくなって、はい、終了って解散になるからだ。
糞を流すのにはどうしたらいいのか。日記はおすすめだ。辛かったことをとりとめもなく書いていれば、気が収まってくる。構成や結論なんて考えず、ひたすらに書いていく。書き終えてすっきりした後に見返せば、水っぽい糞もよく見れば快便だったなんてこともある。
どうしても糞を見せたい時は事前にちょっと憂鬱ですよってアピールをしておくことだ。そしたら、今日は長くなりそうだなって向こうも察する。誕生日だって事前に知ってるから、テンション上げて臨めるだろ。急に憂鬱な話題を飲み会で切り出すのは、懐メロを気持ちよく歌ってる中でボカロを入れるぐらい空気が読めない行為だ。それにできれば、特定の誰かを悪者にするのも避けたい。糞の投げ合いになるかもしれないからだ。
そんなことを考えたもの一週間前に彼女と電話で話したからだった。彼女は糞を投げるみたいに辛い話をしないから好きだ。いつも前を向いてるし、辛い時はキーを上げて話すから最後は笑い話になる。だからか、返ってこないブーメランのようにまとまりのない話も愛おしく感じるし、一緒に探しに行くのが楽しくなったりもする。飯食ったら糞するみたいに辛いことだらけの世界だけど、どうせ明日はくるし、気が付けばお腹が鳴る。だから、せめて大事な人の前では楽しく、できれば楽しい話をしたいなと思った今日だった。
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