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思い切って誘える世界線に行きたい
女性を誘えない
なぜなら、嫌われるのがいやだから
それはまるで長縄に入れない小学生みたいだ。
どのタイミングで縄に入ればいいかわからないし、引っかかるのが嫌だ。でも飛びたいという欲望はある。そんな中途半端な気持ちだ。
最近、ありがたいことに女性とデートする機会があった。しかも気になっている女性である。彼女は、興味があるもの全て手を出す僕と違って、近くにあるものを大事にする優しい性格の持ち主だった。
だから、長く続けているものは成果が出ているし、話す内容にも時間で形成された愛という重みが乗っかっている。
人は「同じ趣味や考えを持った人と付き合う方が心地がいい」と言う。しかしながら、違った角度から物を見たり、自分にないものを持っている人と時間を過ごすことも素晴らしいことだとも思う。
そういう意味では、僕と彼女は同じ考えを持っているというよりは
お互いの考えを尊重し合うべき間という方が正しいであろう。
だけど僕は今まで好きな趣味の仲間とだけ話すという温室出身の生活を送ってきた。ぬくぬくと心地よい空間から抜け出すのを嫌い、できるだけ排他的になることで自身のアイデンティティを保ってきたのである。
彼女と会うたびに、僕の中の価値観が揺さぶられ、その衝動で強い言葉を彼女に向けている気がする。会うたびに仲が悪くなっているような幻想に駆られる。そんな自分が徐々に嫌いになってくるのだ。
今振り返ってみると大学時代も、同じように排他的な気持ちから恋愛から逃げてきたことが多かった。目の前のこととは向き合わず、ひたすら対象に背を向けることで解決を試みてきた。癒してくれるのは流れていく時間だけだと思っていた。
でも結局、守ろうとしていたのは彼女ではなく自分自身だった。
女性を誘えない。
なぜなら、自分を嫌いになりたくないから
このままではいいのだろうか。長縄の前で立ち往生しながら、年を重ねていってもいいのだろうか。
思い切って誘う世界線に行こう。
自分と向き合い、彼女と向き合おう。
そこには少し成長した自分がいるはずだ。