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イノベーションのお手本のような話

大企業では、成功体験に引きずられて、ゲームチェンジするようなイノベーションを起こすのは難しい。

書籍から電子書籍へ、ガラケーからスマホへ、レンタルDVDから動画配信へ。ゲームチェンジはいずれも、小さい会社が巻き起こしてきた。

大企業にとっては、やりたくてもできない「イノベーションのジレンマ」(イノベーションの父・シュンペーター先生)というやつである。

ただ、やりようによっては、大企業でもイノベーションは巻き起こせる。
今日は、大企業がイノベーションを起こすとしたらこんなやり方!というお手本のようなお話。


Whyから始まるブランドづくり ミツカン、新組織は「ゼンブ」やる(2024/5/6 日経MJ)

・「味ぽん」などで知られるミツカングループが、ここ数年、新機軸の商品を相次ぎ世に放ち話題を呼んでいる。
・現在、同社でイノベーションのゆりかご役を担っているのが30人弱のイノベーション開発部だ。
・最高執行責任者(COO)直下の別動隊たちは、変幻自在に動き回り、かつスピーディーにチャレンジの手を止めない。

日経MJ記事本文より

こういうのを「出島戦略」と言う。
江戸時代の長崎の出島みたいに、治外法権で色々チャレンジできる場所、ということらしい。このサイトが分かりやすいと思う。

マーケティングに基づいた、とがった商品の連発

・黄エンドウ豆を100%使った世界初の麺「ZENB NOODLE(ゼンブ ヌードル)」は、2020年9月に発売されると累計1500万食を販売してヒットした。
・勢いを加速すべく、このほど第2の矢を放った。それが発酵性食物繊維を使った新ブランド「Fibee(ファイビー)」だ。

日経MJ記事本文より

ZENB NOODLEは、豊富な食物繊維(お通じが良くなる)×カロリーオフのダブル効果がよかったみたい。そもそも「おいしい」というのもポイントだろう。

第2の矢Fibeeは、ZENB NOODLEの成功から、食物繊維に着目したってことか。今度は、発酵×食物繊維。

そう言えば、シュンペーター先生は「イノベーションとは、新統合(全く新しいものを創り出すのではなくて、組み合わせて新しいものにする)だ」とも言ったんだった。
食物繊維もカロリーオフも発酵も、それぞれ単体で見ればもう世に出てるものなんだけど、組合わせると、確かに新しい。

「ほとんど管理しない」は、任せた、責任は取る!の理想形

・こうしたチームをうまく率いるために、石垣氏が大切にしている流儀は「ほとんど管理しない」というもの。
・私が口を挟んだ瞬間、それが正解だとして30人のチーム全体に広がってしまう。
・すると次からは、〝石垣氏は何を考えているのか〟とメンバーは考えるようになる。それではゼロイチは起こせない。

日経MJ記事本文より

記事中の主人公・石垣浩司さん(ミツカンCOOにして海千山千の猛者を率いるチームリーダー)の経験と苦悩がにじみ出ている、味わい深いコメントです。

突然「権限委譲」すると言われても、部下にとってはプレッシャーだったり、はしごを外されるんじゃないかという不安があったり、「責任も伴う」と思っちゃうのが普通だし、誰かに決めてほしい、楽になりたい、その気持ちも分かるんですが、そこをうまくクリアしているわけです。

一致した「判断基準」を持つ

それじゃ「ほとんど管理しない」で、どうやって組織の体裁を保っているのよ?というと、これです。

・部のメンバーたちが最大の判断基準としてよりどころにしているのは、企業リーダーなどの著作で知られるサイモン・シネック氏の「ゴールデンサークル理論」だ。
・左脳的な本能や感情をよりどころとする「Why(なぜ)」がまず最初にあり、その次に「How(どのように)」、そして「What(何を)」といった右脳的な理性や思考へと考えを広げているアイデア発想法の一つである。
・メンバー全員で考えたWhyの共通認識からずれていない限りは、何でも許容してもらえて、怒られることもない――。そんな空気が部には流れている。
・自社の得意な技術をどう生かすかといったWhatが起点に議論が進んでしまいそうになると、立ち止まってWhyに戻って考え直すのは今や日常の光景だ。

日経MJ記事本文より

一致した判断基準を、あらかじめ持っておくってことなんですね。「そんな空気が部には流れている」というのも好きです。今風に言えば、ティール組織で心理的安全性が保たれているというんでしょう。つまり「やりがいがある職場」ってことです。

結びに(出島はどうなったか?)

ところで、長崎の出島って結局どうなったのか?あんまり認知されてないと思うんですよね。いや、私も知らなかったので、ググりました。

・安政の開国後の出島は、長崎を近代的な貿易都市に改良するため、西側の水門付近や南側が拡張されるなど、地形が大きく変わっていきました。
・その後、周囲が埋め立てられ、さらに明治18年(1885)に起工した中島川変流工事では出島の北側約18mが削り取られました。
・そして明治37年(1904)の港湾改良工事で、その扇形の島は完全に姿を消してしまったのです。

出島ホームページより

なんと!教科書に出てきた出島はもうないんですって。
ただ、「長崎を近代的な貿易都市に改良するため」にあるとおり、長崎の貿易を、日本の経済をよくするために、溶け込んでいったんだと解釈できますよね。

企業の出島も、いずれは会社の中に、その会社のマインドとして、ポリシーとして溶け込むのが理想なんだろうと想って、スマホを閉じました。おしまい。

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