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私のキャリアとキャリコンに出会うまで #1

初めまして。北山乃理子です。
現在、外資系コンサルティングファームに勤めながら、女性の働きがいを提案するキャリコンを目指して勉強中です。

今回は、私が今まで歩んできたキャリアと、キャリコンに出会うまでを棚卸しようと思います。

1.システム開発会社でのスタートしたファーストキャリア

大学卒業〜入社

大学で4年間、金融を学び卒業しました。

ゼミの同期が金融機関への就職を決める中、就活生の私は、「今後IT・システムで社会の仕組みはどんどん変わっていくんだ!私は、社会の仕組みを変えるようなビジネスをするんだ!」とシステム開発会社への入社を決めました。

その当時のシステム開発会社は、体力的にかなり大変で男性中心の業界というイメージがありました。入社時、社員は会社単体で8,000人ぐらいで、男女比はおよそ8:2、その年の新入社員は550人、男女比は6:4。会社は男性中心の風土から、ダイバーシティへと舵を切り始めた頃でした。

入社〜6年目ぐらい

最初に配属された部署は、Webシステム開発の部署でした。その部は、20人くらい(協力会社の人を合わせると50〜60人ぐらい)で女性の部長が率いていました。当時は、女性部長はかなり珍しかったと思いますが、女性がチームを率いる状況が当たり前の環境で社会人キャリアをスタートできたのは、私のその後のキャリア選択においても多かれ少なかれ影響があったように思います。

仕事はやりたいことをきちんと伝えたら、任せてもらえる環境にありました。3年目で希望して営業企画に異動をし、社会人6年目ごろまでは、やりたいことを比較的自由にやらせてもらっていました。周りの人にも恵まれ、順風満帆に社会人人生を歩んでいました。

新規プロジェクトでのやりがい

6、7年目で新規サービスの立ち上げのプロジェクトに携わった時期が、システム開発の会社でのハイライトです。新規ビジネスのため、過去に参考になる事例も、類似の案件もなく、毎日新たな課題が勃発し、やることはたくさんあるのに対処する人がいない状況で、一人何役もこなして何とか前に進めていく毎日でした。
プロジェクトリーダーは、「よしわかった。任せる!」と、年次や役職関係なく仕事を任せてくれる人でした。私もサービス提供形態から、プライシング、利益管理、クライアントの要件取りまとめや機能交渉まで、ありとあらゆることを経験させてもらいました。「自分で方向性を考え、周りと調整して課題を解決して前に進む。」泥臭い細々した調整ごとも多かったですが、課題を解決し、プロジェクトを前に進めていくことは最高のやりがいであり達成感でした。

クライアントからの評価も高く、私たちのサービスがクライアントの業務の効率化や稼働の削減、作業品質の向上に貢献しました。自分達のサービスが、目に見えてクライアントの仕事を変えることを実感できたことも、やりがいの一つでした。

私である必要はなかった

案件が拡大するにつれチームの体制やメンバーが大きく変わりました。やりたいことを自由にという風土から、強烈なマネジメントへ移行しました。この頃の環境の変化に長期休暇に入る人もいるような状況で、私は、やりがいを感じる余裕もなく、ただ仕事をこなすことを考えていました。

その中で、仕事を見直すきっかけとなる2つの出来事が起こります。一つ目は、上司から今までの私の仕事に対して「今までは評価はされてきたが、運とタイミングが良かっただけで、別に誰でもできた。」と言われたことです。

2つ目は、新規クライアントから、私に対して「接待のノリが悪く、気概がない。」と言われたことです。他の会社の女性は案件を取るために、こんなこと(あんまり書けない)をしていたとのことでした。

「私の存在意義って何だろう。別に私でなくても、若めの女性なら誰でも良かったのか。」という気持ちになりました。他にも理不尽だなと思うことが続き、もうここでやりたいことはないなと思い環境を変えることを決意します。

続く。

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