Norie Minamidate
43歳になる年の2月、鬱であることがわかった。 2023のわたしは、地獄を這う中で、これまでにないほど自分と向き合った。 ワタシのラスボスに出逢いに行くまでの過程と気づき、そしてその後。
コドモとは、養育するものではなくて、ちゃんと自ら生きているヒト。 子育てという概念を反転させて共に生きる、小さいヒトたちから学んだ生き方記録。
43年間、粗末にしきったこのカラダ。 鬱体験を通して、本質的にカラダの大切にするってどういうことなのか気づいた記録。
わたしにとってコトバとは、もうひとりのワタシ。
「抜き」とは、チカラを抜くこと。 チカラのコントロールをすること。 高総体前、柔道で満身創痍の娘を 長くお世話になっている整体師さんのところに 半ば強引に連れて行った。 カラダから感じられたのか 突然「抜き」について整体師さんが語り始めた。 相撲競技の経験があり、 高校1年生の椎間板ヘルニアから 相撲を出来なくなって 高校3年生の高総体は初試合。 それで県優勝を果たし、東北ベスト4という記録を残したそう。 相撲部に入っていながら 初大会までの2年間やっていたことは 別
等身大のジブンが見えた今、 観える景色がどんどん変わっていくのがわかる。 そしてとうとう 等身大のジブンが、出した結論は 「今年は、去年までやってきたイベント、辞める」 毎年続けてきて、それによる効果もある程度出てきていて 今年もやった方がいいし やった方が絶対愉しいことは明確。 大好きな人たちに囲まれて安心するし幸せ感は大きい。 だけれど、どうしても今年は初っ端から 計画すら動けなかった。 それが本当に苦しくて 周りが出してくるイベント情報に焦りと 自分への絶望でい
大したことがない自分を自覚したことで 見えてきた次の景色。 「あ・・・これが等身大の自分、ってやつだったのか・・・」 大したことない自分を観たら カラダの内側からチカラが抜けていっていて 進行形にじわじわとチカラが抜けていっていて 表現するなら、そうね 例えば戦隊物のドラマで普通の人間が悪者のビームを受けてしまって 悪魔化してしまい憎悪でまみれて 散々大暴れして町や人を傷つけていって ある時正義の味方が現れて そのヒーローと戦うことになってしまって 結局最後負けた途端
「ちゃんとしなくていい」 わたしになるってことなんだろう。 ちゃんとしたわたしが絶対だと信じていたことは 良い人、頼れる人、ばりばり仕事出来る人、みんなに愛されてる人、誰も傷つけない人、いつもニコニコ朗らかでご機嫌な人 人生うまくいってる人は 必ずこれを徹していると信じてきた。 だから社会に適応しているし、馴染んでいる。 わたしもそこからズレちゃいけない。 社会的に価値がなくなるじゃないか。 これを、辞めるってことは 社会に馴染めなくなる、人に嫌われる。 人が離れて孤
もう、ちゃんとするのを辞める。強く決意した。 わたしは聖人君子じゃないし、善人でもなかった。 わたしは、大したことなかった。 ってことは もう、大したわたしじゃなくて、いいんだっっっっ!!!!!!! わたしにとっての「大したわたし」の一番の要素は 『ちゃんとしてるわたし』 このちゃんとしてるわたしを、もう手放していいのだ。 それが分かった後、じんわりじんわり力が抜けていくのがわかった。 どこか膝に力が入らなくなって、今まで自分を支えてきた柱を失い 腑抜けになる感覚。
欲しい答えがあるならば 知りたいな、と思いだけして投げておけば むこうからやってくる ってことが最近身に馴染んて来てた故。 恥で立ちあがれないまま、考えもせず放っておいた。 だって、もうその先が見える気がしなかったから。 わたしは、もう「善人」じゃなく、「悪人」なんだから。 価値がないんだから。 それでも、答えに辿り着けたなら 本当に楽になれるカギになる気がするから。 そうしていると、本当に答えに導かれた。 きっかけは、友人とのLINEのやりとり。 特に意図してな
「わたしは、自分を聖人君子だと思っていた。本気で。」 ということを、自覚したある日。 多分、人生最大の自覚したくなかった案件だ。 だって、そんな恥あるか。 自分が聖人君子だなんて、言えるか、普通。 いや、言ってないんだよ。人には言わないんだよ。 「腹の底で、思ってるんだよ」 つまり、たち悪い。 深層心理、潜在意識ってやつ。 「あの人は、悪気ないんだよね~」ってのが 一番たち悪いってやつね。 自覚できてないから、気づかずやらかすヤツ。 きっかけは、とあるグループセ
ムラづくりが流行っているそうな。 縄文ムラ、とか。 でも本当は、縄文はムラじゃなかったそうな。 ムラじゃなくて、「ハラ」 ムラって、弥生に入ってからなんだって。 確かに、学校でそう習ったよね~。 次女が地域学習で聴いてきたことがあって 今暮らすこの地域でも縄文人が生きていた形跡が出てるけど なんと定住してはいなくて、うらうらと食べ物を採取して 動き回っていたのだとか。 定住はその後一戸の御所野。 それまでは遊牧していたのだそうだ。 そういうところからも、確かにムラって
新年早々、鬱で倒れた2023は 内省まつりしまくった一年だった。 2月から始まった精神科受診からはじまり 1年間通してむったり カウンセリング コーチング セッションでまみれた。 これ以外もう すがるものはなかったから。 お金も時間も投資。 本当になんとかしたかったし この地獄から抜け出したかった。 内省ならいくらでもしてきたけれど それでも鬱になってしまった。 鬱になるまで自分で自分を救えなかった。 すがる以外なかった。 精神的なものだけでなく カラダから直接触れて
「いいヒト、悪いヒト」 この視点でいつも他者を見て、関わっている。 このヒトは、こうだからいいヒト。 このヒトは、こうだから悪い人。 そこに感情が入る。 このヒトは、こうだからいいヒトで、好き。 このヒトは、こうだから悪いヒトで、嫌い。 全てにおいて、この観点で判断する。 だから、いつも感情にまみれている。 感情にまみれているので、感情の波で上がって下がって。 瞬間瞬間上下して、右往左往している。 常に、常に、気分が悪い状況は、このせいだ。 と、ここまで客観的に
“わたし”と“ワタシ”、そして“私”わたしの「中」には2人のジブンがいることに、気づいた。 それに気づいたとき、やっと自分が精神分裂を起こしていたことに気付いた。 鬱の原因がここにあった。 精神科のカウンセリングの入口だった。 カウンセリングの主な課題は この2人を統合させることだったと思う。 紛れもなく、どちらも本当の私である。 問題は、この2人を右往左往してすっかり目を回して 本来のジブンを見失っている「3人目の私」がいることだったのだ。 この3人目の私が、もう参っ
2023になった瞬間の1月1日、コロナで倒れた。 そこからとうとう布団から起きられなくなった。 2月、友人からの勧めで精神科を受診。 鬱とはっきり言わないけれど、「休んでください」と先生が一言。 俗に耳にしていた、これが“強制終了”ってやつなのかな。 ジブンにそれが起こることがあるなんて思わなかったな。 茫然としていた。これからどうしたらいいんだ、と。 と同時に、とてつもなくホッとしていた。 (もう、行かなくていいんだ。行かなくていい許可書が下りたんだもの。) だけれど
どこかの誰かとの比較でなくて、私自身の中では 今とてもサバイバルな生き方を選んで進んでいると思う。 こんな風な人生を歩んでいるなどとは・・・ 20年前は思ってもいなかったのだから。 安定志向の塊だった私。教員を目指し、公務員を志していたのだから。 今月40歳を迎える私。二度目の成人式だ。 まさかの人生を生きる私。二十歳の自分に言ってあげたい。 「この先、すんごいことが待ち受けているぞ。今のあなたからしたら、天と地がひっくり返ってる。でもね、怖がらなくていい。だっ