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筆を持って、外に出よう。

今、絵描き界隈に激震が走ってる。
それは"Midjourney"というテキストを入力するだけで超高品質の画像(絵)を生成してくれるソフトができたから。

AIの得意分野は“100点を取ること“だと思う。
“正解を出すこと“とも言えるかもしれない。

今はまだ、解像度の荒い(イメージを絵にするだけの)絵しか生成できないが、AIが映画を丸ごと一本作ってしまう未来も、そう遠くない気がする。

人を感動させる脚本の作り方なんて、半世紀も前にハリウッドで確立されているし、本屋に行けばいくらでもある。

今まではそれを人間がやっていたから不正解が出てしまうことがあったんだけど、AIに任せれば100%の確率で正解が出る。

AIが100点を出せるということは、絵を描いたことがない人でも、映画を作ったことがない人でも100点の作品を作れるということと同義だ。

では、今この時間に涙を浮かべながら絵を描いている人、今この時も死に物狂いで映画を作っている人の努力は全て水の泡となってしまうのか。


僕はそうとは思わない。
もっと語尾を強めてもいい。
絶対に水の泡にはならない。

先ほども言ったがAIの得意分野は100点を取ることである。
そしてその精度はきっかり100%である。

ただ、世の中には120点の映画というものが、間違いなく存在する。
今、皆さんの心に浮かんだその映画が、まさに120点の映画だろう。

では120点の映画はなぜ120点なのか。
僕は人間という、ある種不完全な“生物“にしか出せない“不定数“のおかげだと思っている。
※ここでいう"不定数"はベクトルが一致する不定数という意味であるが、詳しく話すと長くなってしまうので割愛します

映画はたくさんの人のコラボレーションによって成り立っている。
多いところだと数百人にも及ぶスタッフで作っている。

それだけ人数がいれば時に突飛な、行ってみれば不正解だと思われるアイデアが出ることも珍しくない。

そして、不完全な生物である人間は、それを正解だと思って制作を進めてしまうことがある。
もちろん、制作には無限の選択が待ち受けているので、たくさんの不正解が存在しているだろう。

しかし、この不正解の積み重ねこそが人間にしかできない、
かつ、120点の映画を作る唯一の方法だと感じている。

つまり、“不定数“があることによって、解が大きくなるのである。
ゴール(100点)という大きな大きな壁を超えられる可能性がある。

この時点ではまだまだ“可能性“としか言えない。
不定数がポジティブな結果を招くこともあれば、当然ネガティブな結果を招いてしまうこともある。

むしろ、確率で言えばネガティブな結果を招くことの方が多いのかもしれない。

ただ、ディズニーやピクサー映画のほとんどがいつも面白いように、不定数の数を増やすことによってポジティブな結果を出す確率を100%に近づける方法はどこかにあるはずだと思う。

僕はその方法の一つに“超マンモス組織“を作ることがあると思う。

この方法が時代と逆行していることは重々承知だ。
新型コロナウイルスがきっかけで、オフィスがいらないことに気づき、出社することのコスパの悪さに気づいた。

インターネットやそれこそAIの発達により、人材は最小限で済むようになった。

小規模で離れて働く。
プロジェクトごとに集合と解散を繰り返す。
これが時代の波なんだろう。

しかし、僕はその逆、つまり産業革命以前のマニファクチュアにこそ、可能性が残されていると思う。

今までの流れは生物特有の不定数を少しでも減らし、機械化(現代ではDX化というらしい)によって、安定して100点を出すことを目指してきた。

その極地がAIである。

しかし、先ほどから言っているように不定数こそが100点を超える鍵である。

ここからは小学生でもわかる算数で、不定数を増やせば増やすほど解の範囲は広くなる。
もちろん、組織がハンドリングできる最大人数はあると思うが、少なくとも10人や20人といった規模の話ではない。
(映画を例に話したが、1枚の絵をとってもたくさんの判断のもとに成り立っているため、確かな技術力があれば120点を取ることは可能だと思う。)


さらに話を進めよう。

僕は先ほどから会社というワードを使わず、組織というワードをこだわって使っている。
組織というワードの中には、街や国やコミュニティといった意味合いを含めているが、組織というワードの中に会社は含めていない。

というのも、映画を作ることをはじめ、全ての人間の営みにおいて、様々な思考を持った人が同時に存在することが必要だと思っている。

同じ趣味嗜好を持った人だけ(←仮に会社とする)で映画を作ろうとすると単調な映画が数本しかできない。

しかし、自分と違った思考を持ち、なおかつアーティストでない人(=映画を作っていない人、看護師さん八百屋さん専業主婦etc)との接点を持った時に初めて、多種多様な映画を半永久的に作る続けることが可能になると思う。

街に住んでいる人々は生まれ、育ち、やがて死んでいく。
同様に映画を作るものも生まれ、育ち、死んでいく。

そうすればその街自体がある種の“永遠に完成しない映画“になりうるのである。
僕はこれをテーマタウンと呼んでいる。

先ほど述べた“超マンモス組織“はまさにこのテーマタウンのことである。


少し話が空中戦になってしまったので戻そう。

AIアートの出現が絵描きを脅かしている。
もちろん自分も不安ではないといえば全くの嘘になる。

ただ、これだけは言える。

AIに全ての絵描きが飲み込まれたとしても、そうでなかったとしても、
最後に夢を叶えられるのは今立ち止まらず、言ってみれば“盲目的に“絵を描き続けた人だけだと思う。

そもそもAIうんぬんの前に、自分が絵を描かなくても良い絵描きは世の中に沢山いたし、その中には自分が尊敬していて大好きな絵描きも沢山いる。

"世の中で良い絵が生まれること"が自分の目的なんだとしたら、その目的は自分が絵を描かずとも十二分に果たせている。

自分は自分(とその仲間たち)で、映画やテーマタウンを作りたくて絵を描いている。

良い作品を作ることが目的の一つであることは変わりないけど、
自分にとってそれだけが1番大切なことではない。


もしかすると、僕は盲目的に絵を描き続けるために、今できる最大限の論理力で持って、自分を説得したのかもしれない。

仮にそうでもいい。
大切なのは何があっても筆を止めず、観察をし、好奇心を持ち続けるんだ。

そしていつか、夢を叶える。
幸いにも、そして偶然にも僕の夢は映画を作ること。
そして、テーマタウンを作ること。

さあ、筆を持って、外に出よう。
僕の夢が、遠くに見えるかすかな光が、強く僕を手招きしている。

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