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現代を生きる自分(日本人)の感覚は、大部分が西洋人なんじゃないかという疑問

僕は大学などの教育機関を使わず、絵を勉強しています。
いわゆる"独学"です。

日本だと教育機関に行かない=趣味程度と思われることが今まで何度もあったのですが、
自分の性格や現在の経済状況などを踏まえて総合的に判断した結果、教育機関を使わない方が成長できると判断して学校に行っていないので、

思考が停止したまま大学に行っているアーティストなんかに負けてたまるかという気持ちはとてもとても強いです。
(自分はストレートで大学に行っていれば2023年現在で4年生になります。)

ひとえに「絵を学んでいます。」といっても、様々な分野があります。

僕はその中でもアニメーションのデザイン(キャラクターや世界観など)をメインに勉強しているので、基本的な素養は全て西洋画から発展しているものになります。

つまり、ダヴィンチ(モナリザ)やミケランジェロ(最後の審判)やカラヴァッジョ(聖マタイの召命)など、1500年代前後の画家を起点に発展してきた絵画技法が元になっています。

アニメーションのデザイナーは当然ディズニーやピクサーといったハリウッドのスタジオでもいますが、そういったスタジオで働いているアーティストも基本的には同じ絵画技法を元に絵を描いています。


そんなこんなで、自分の絵のルーツは西洋画にあるわけなんですが、日本語や英語に関わらずたくさんの書籍を読んでいると、"日本の特徴"のような内容が出てくることがあります。

先日、ライティング(光)について書かれた本(洋書を日本の出版社が翻訳したもの)を読んでいたところ、1933年に谷崎潤一郎が書いた『陰翳礼讃』という本が紹介されていました。

そこには西洋のデザインを代表するバウハウス(←については詳しくないです🙇‍♂️)と比較して、"日本らしい美"が語られていました。

バウハウスは、
「発展と楽観を想起させる光と白で日常生活を満たしている西洋モダニズム」
と記載があります。

一方で日本の美は、
「書院の障子の内側にまで届く光線は薄められ、ほのじろい」
つまり、"闇の中で目にする美や色"が日本的な美だと書かれています。

以上はあくまで一例で、禅の本にも武道の本にも西洋との比較で見えてくる日本についての記載があったのですが、僕はこういった記載を見るたびに疑問を持ちます。

たしかに、自分にも"日本の美"を美しいと感じる心はあるし、なんとなく"侘び寂び"もわかるし、"旨み(日本人が発見した味覚)"もわかる。

けれど、現代を生きる自分(日本人)の感覚は、大部分が西洋人なのではないかという疑問です。

ペリー来航や戦後のGHQによって西洋文化強制的に取り入れられたからそうなったのか、インターネットの発達により物理的距離が関係なくなったからなのかはわかりませんが、
少なくとも100年前の日本人と比べたときには、現代の日本人は西洋人に近くなっていると思うんです。

だからどうこうといった結論はないのですが、日本人でも西洋人でもない(なくなってしまっている)自分は、改めて日本とも世界とも向き合う必要がありそうだなと感じています。

このようなアイデンティティの問題は、
僕とてもリスペクトしているアニメーションスタジオのトンコハウスの最新作『ONI~神々山のおなり』というアニメーション映画(Netflixで配信されています)を観ると、
観る前よりも深く考えられるようになると思います。

日本で生まれ育った日本人の堤さん(堤大介監督)が、アメリカで住んでいて感じたアイデンティティをテーマにしたお話です。
興味があれば、ぜひ!

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