スタンドアローン同士の心地よい利害関係
小学校の頃によくいる
「俺たち親友だよな!」
など、結束力の強いワードを出汁に、常にこちらの交友関係を監視しまくるような人は、大人になってもたくさん存在する。
言葉の端々に派閥めいたものをチラつかせて、ひとたび同調してしまうと、「自分の味方」という認識を持たれてしまい、必要以上に仲間感を周りにアピールされ、いやいやちょっと待って、となるのだ。
僕は「しがらみ」が "この世で嫌いなものトップ3" に入るくらい嫌いなので、できるだけそうならないように、公私問わず、相手との距離感だけは十分に気をつけている。
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以前 "「他人に心を支配されてしまう」ことのコスパの悪さについて" という記事を上げたが、そういった人たちはそういった人たちの独自理論がある事を知った。
依存をする人ほど、「なぜ自分を差し置いてこの人と関わりあうんだ!」という理論で刃を向けてくる。
こちらとしては「プロジェクト」として動いているに過ぎないのだが、依存する側は「寄りかかる」のが無意識なスタンスなので、その理由は理由とならない。
そういう人は、決して幹ではなく、枝葉の行動で判断する。
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知人のフリーPAエンジニアが、ある日
「スタンドアローン同士だからこそ、お互いに依存せず良いものが作れる」
という事を言ってて、まさにその通りだな、と思った。
そういう人たちは、「縛られること」がいかに精神領域に悪影響を与え、パフォーマンスを低下させるか、という事を自分ごととして分かっているので、相手のフットワークに対し、むしろ尊重と尊敬を持って接している。
適度な利害関係がそこには健全な姿で存在しており、むしろその利害関係をお互いに心地よく思えたりする。
執着のない関係性こそ、実はいちばん信頼と結束力が築けるのかも知れない。
今日はこんなところで。
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