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観測問題の不思議

 「観測問題」という言葉がある。

原子は "観測をおこなう" ことによって 初めてどちらかに限定されます。すなわち観測をおこなうまでは、両方の状態が重なる状況になるわけです。

■『椛と学ぶ思考実験 part2 「シュレディンガーの猫」』より

これは、量子力学の世界において、物ごとは自分が観察、観測するまでは "どちら" に転ぶか分からない、といった意味で用いられる。難しい解説は専門家に任せるが、「シュレディンガーの猫」という思考実験がわりと有名だ。


 これをもう一つ踏み込んで解釈すると、「事象や対象物は、自分が観測することでようやっと存在感を放つことができる」ということでもある。

僕は、この概念は人間関係にも当てはまると思っており、例えばそれまで関係性のあった人物と水が合わなくなり、興味をなくした時点で、不思議なことにその人の輝きも瞬く間に消え、なんだかパッとしない人生に甘んじている印象を抱くことが良くある。

これが果たして観測対象(この場合は人)に焦点を当てなくなったことで、どれだけその人が活躍しようと視界に入らなくなったということなのか、本当にその人の動きが鈍するようなことになっているのかは分からない。ただ、びっくりするくらい自分にとって存在感がなくなることは確かだ。

あくまで自分自身の経験から、肌感覚でそういったデータを取ってきたのだが、「観測問題」という概念を知ってから、これはおそらく僕に限らず、皆の中でもなんとなく経験したことがあるのではなかろうか?と思うようになった。

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 あれだけ Twitter のタイムライン上で頻繁に現れ、世間的にもそこそこ活躍していた人ですら、ミュートひとつで、途端に一切の沈黙を保つに落ち着く。共通の知人も多く、普通は誰かの話題などで間接的に登場してもいいくらいなのに、観測をしなくなると一切の存在を消してしまう。そんなものだ。

だから、きっと誰かが僕に対して興味をなくした時、僕自身もその人にとっては存在が薄くなり、パッとしない人生を歩んでいるということになる。

スターが「常に皆に観られる」ことによってより輝きを増すのも、何となくこの原理が一枚噛んでいるような気がする。

このことを自覚しつつ、"自分が自分を観測し続ける視線" はできるだけ持っておきたいものだ。

今日はこんなところで。

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