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物事を「0か100か」でしか捉えられない人

 嫌いな人、苦手な人でも「この部分は参考になる」「考えている事が分かる」という側面は存在する。

ただ、「嫌い」という感情が先に来ている時点で、多くの人はその部分を無視し、"0" の評価を下す。

 逆に、好きな人でも「この部分はあまり好きじゃない」「この部分は直した方がいい」という側面を無視し、"100" の評価で来る人がいる。

そういった人たちには「グラデーション」という概念がない。
仮に普段あるとしても、バイアスにかられた瞬間、一気に欠如する。

正直、苦手だ。

***

 昔、飲みの席で隣に居合わせた酔客と、ある芸能人の話になった。

独自の占星術を駆使し、当時メディアで出ずっぱりだった女性占い師。

キャラが強く、高圧的で「地獄に堕ちるわよ!」というフレーズがキャッチーだったこともあり、TVで良く見かけたと同時に、見事に好き嫌いが分かれるタイプだった。

 僕もあまり好きなタイプではないながらも、彼女(というか占い師全体)が持っているプロファイリング能力だったり、人心掌握術をそれなりに網羅してるからこそ、あの境地にいけるんでしょうね、そういった意味では立ち振る舞いは参考になりますけどね、…などと、わりとニュートラルな目線からその人を語った。

しかし、どうやらそれは酔客にとってはその人に対する「単なる好意的な意見」に捉えられたらしく、

「信者か。アイツのこと信奉してるやつにロクなやつはおらんわ」

みたいな事を言われた。

たとえ酔ってるとは言え、その人には「グラデーションで受け取る」という解釈力がいっさいないのだ。
たとえいくら言葉を丁寧に繕い、注意深く語ろうとも、結局は "0か100" でしか解釈してくれないのだ。

 もっと言うと、その人が「そうあって欲しい」ことだけに同意の扉を開放しているので、意に反する(と感じる)ような意見を言われると、自分が否定されたような解釈に陥り、過剰に反応する。

ふと書きながら思ったが、主張に個人的感情を乗っけ過ぎてる人ほど、その傾向が強い気がする。
むしろ、"噛み付くために反対意見を虎視眈々と待っているんじゃないか?" とさえ思う時がある。

そういった人たちと議論するのは、ただただ不毛である。

***

 最近は SNS でも、まさにこのような「ゼロヒャク」の議論を散見する。
そんな人たちは、お互いの文章を読んでいるようで読んでいない。

その度に、当時の記憶を思い出し、スマホをそっと閉じる。

 感情ベースではなく、思考ベースで考えることが、本当の「思いやり」なのかも。

今日はこんなところで。

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則宏史(noreason studio)
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