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話が通じない人と、どう付き合うか

ある取引先の方で、どうしても話が通じない人がいる。

けっして悪い人ではないのだが(というより絶対いい人)、どうもこちらの話がうまく伝わらない。お仕事のやりとりをする中で「○○してくださいね」とお願いしても、絶対そうはしてくれないのだ。

「○○」しないと仕事が進まないわけではない。けれども「○○」をしてくれないと困る事情がこちらにあって、できればそうしていただきたい。手間のかかることでもないし、どちらかといえばやるのが自然なことだからだ。

(具体的に書くと角が立つのでぼかします)

だからくり返し「○○してくださいね」と念を押すのだけれど、やっぱり伝わらない。メールがダメなら電話で、電話でダメならメールで。しかしどうにも改善される気配がない。

こちらの伝え方が悪いのかもしれない。「○○してください」だけではなくて、なぜそうしてほしいのかの理由もセットで伝えたら、その真意を理解してもらえるかもしれない。

そこで「△△なので、○○してください」と伝えてみた。でも、それでもやっぱり伝わらなかった。

そこで思ったのは、もしかしたらこの方は「言われたことをやる」ことのプライオリティーが低いのかもしれないということだ。

たとえば「待ち合わせの時間を守る」ことにも個人差がある。時間ぴったりであることを美徳とする人もいれば、5分前集合を当然と考える人もいる。連絡すればカバーできるからとふんわり遅れてくる人もいれば、なんだったら連絡なしに来ない人さえいる。

それと同じで「言われたことをやる」にも個人差があり、先の取引先はそこまで重きを置いていないのかもしれない。

もちろん仕事に忙殺されて気が回ってないこともあるだろうし、こいつの言う通りにはしたくないという妙な敵愾心を燃やされてるのかもしれないけれど(ないか)、とにかくこれはもう「話が通じない人」として接するしかないのかもしれない。

些細なことだから口論するほどのことでもないし、取引先だから今後も良好な関係を築いていきたい。同じ会社の同僚だったら対面で強く言えたりもするだろうけど、電話やメールで言い争うほどのことじゃない。すっぱり身を引いてあきらめたほうが角が立たない。

ただ、僕の頭の中では、その人の顔を浮かべて「話が通じない人」というシールをおでこに貼ることになる。そしてコミュニケーションを必要最小限にとどめる。熱量もなく、ただ機械的にやり取りするだけになる。

こういうとき、自分は冷たい人間だなと思う。



今、国会の「外」が紛糾している。会場は主にTwitterだが、政府を愚策ととがめ、指摘に便乗して怒り、怒りの理由が的外れだと糾弾し、お前は何様なのだと罵倒する場外乱闘が繰り広げられている。プロレスのリングの外で観客同士が、自分の座っていたパイプ椅子を振り上げている状態だ。

でも、パイプ椅子を振り上げている人にはまだ温かさを感じる。というのも、相手に対して「話の通じる人」だと期待していることの裏返しに思えるからだ。論破しようとするのも、相手に聞く耳があると信じているからで。

もちろん強い言葉を投げつけることが娯楽になってる人も大勢いるだろうけれど、それにしたって怒るのはパワーがいる。パイプ椅子に座ったまま嘆息している者からすれば、あきらめずにコミュニケーションを取る姿勢が情熱的でうらやましくもある。これは皮肉ではなくて。

ただ、糾弾している人も、糾弾されて言い返している人も、言葉の強さをすこし和らげてみてはと思う。強い主張は強い言葉とイコールではなく、むしろ逆だからだ。本当に怖い人が静かに怒ると凄みが増すのと同じで、落ち着き払った言葉のほうが腹の底に響く。一方、荒い言葉は相手の耳をふさいでしまって主張が伝わりにくくなる。

個人的に心がけているのは、びっくりマークを極力使わないこと。

「!」に頼ると言葉がどんどん陳腐化してしまうため、なくても「!」を感じさせる文章力を磨こうと、誰に頼まれるでもなく意識している。しかも普段使わないでいると、ここぞの場面で「!」が効くからおすすめだ。

一朝一夕にはいかないし、自分自身もまだまだ未熟だけれど、日頃から「!」を使わずに伝えるルールをひとつ課してみたら、言葉の伝わりやすさがきっと変わると思う。

なんて話をしても、やっぱり通じない人には通じないのかもしれないけれど。

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松岡 厚志 / HI MOJIMOJI
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