TXT Concept 'Nihilist' & 0X1=LOVESONG’考察:誠実さの喪失
今回は「GOOD BOY GONE BAD」の中からConcept ‘Nihilist’について考察していきます。哲学からの考察がメインとなります。
ニヒリズムとは
ニヒリズムという言葉を検索すると以下のような説明があります。
一見するとヒステリックでネガティブな印象がありますね。しかし今回の考察で見え方が少し変わるかもしれません。
ニヒリズムには大きく分けて3段階の変化があります。これを説いたのがドイツの哲学者ニーチェです。
彼が説いたニヒリズムを知ることでTXT作品における少年が「GOOD BOY GONE BAD」を経てとある境地にきたことを感じることができるのです。
ニーチェの説いた段階的ニヒリズムは次のように分けられます。
①価値喪失によるニヒリズム
②中間状態のニヒリズム
③永劫回帰なニヒリズム
これをTHE CHAOS CHAPTERからminisode 2にかけての少年の変化にあてはめると①と②にあたるのではないかと思われます。では、このニーチェの段階的ニヒリズムをもとに少年の変化を読み解いていきましょう。
価値喪失によるニヒリズム
ニーチェの断想には「ニヒリズム」を「最も不気味なこの客」と表現しており、それはまさに間もなくして訪れる「価値喪失」や「価値否定」を指しています。
当時のヨーロッパ的諸価値は、キリスト教的-道徳的な世界解釈に基づいていましたが、その解釈も次第に没落し無効となったため、価値喪失というニヒリズムがまん延しました。
ニーチェ曰くこれは「キリスト教的-道徳的な世界解釈」自身が必然的に呼び込んだものであり、自ら築き上げた誠実さを自ら壊す、いわば自己崩壊する、ということだそうです。
さてTXT作品における少年ではどうでしょうか。
私は「0×1=LOVESONG」で築かれた少年の誠実さが「Thursday's Child」で自己崩壊を迎えたと感じています。
これは歌詞の一部ですが「0×1=LOVESONG」の歌詞は、君という存在を神のように崇めている印象があります。しかし「Thursday's Child」でそれが偽りや嘘だと気づきます。
ニーチェは断想にて「膨大な力をこれまでそのために捧げてきた世界解釈が実行不可能であることが分かるといっさいの世界解釈が偽りではないのかという不信感が引き起こされる」と説いていますが、まさしく少年のような極端な世界解釈の転向は価値喪失のニヒリズムであると考えられるのです。
中間状態のニヒリズム
このセクションでは2つのニヒリズムを紹介し中間状態のニヒリズムと少年の変化を説いていきます。1つ目は能動的ニヒリズム、2つ目が受動的ニヒリズムです。これら2つが合わさることで中間状態のニヒリズムに到達します。まず、能動的ニヒリズムについて紹介しましょう。
ゼロバイの少年は価値崩壊を迎える
前述の価値喪失のニヒリズムに至る以前にあった「神を真なるものとする価値観」は悲惨な生存状況に対する救済として必要でした。
ニーチェはそれを薬と表現していますが、「0×1=LOVESONG」の歌詞にも「Please use me like a drug」という表現がありますよね。
これは自分を薬のように使ってほしいと懇願しているように見えますが、僕は君を薬のように使っているという気持ちからきたものにも見えます。
ニーチェは「能動的ニヒリズム」の登場によってずっと楽になると述べていますが彼が考える「能動的ニヒリズム」とは何でしょうか。
自分がこれまで持っていた理想や価値の崩壊にただ直面するのではなく、自ら意思を持って積極的に破壊しようとする姿勢、そこに能動的ニヒリズムがあるということです。しかしそれは盲目的で一時的な感情の高ぶりによるものでもあるとも読み取れます。
Concept Photo 'Nihilist'の考察
Concept Photo 'Nihilist' で最初に公開された写真を見てみましょう。
ギターが壊され、少年の悲痛な想いが一面に書きなぐられています。
LOVE IS A LIE, RIGHT? CONFUSION. REST. FEEL LOVE
愛は嘘、そうでしょ?わからない、落ち着こう、愛を感じよう
価値を喪失した少年の心の乱れが見えてきます。
その他のConcept Photoも見てみましょう。
気づいたMOAも多いかと思いますが、これらは昨年公開されたChaotic Wonderland - Concept Photo 'ONE'に通ずるものがあります。
レコード盤、アンプ、マイクなどが変わり果てた姿で表れ、テーマ全体の印象として破壊された空虚な世界を感じます。
ニーチェは能動的ニヒリズムの対比として受動的ニヒリズムについても言及しています。
自ら意思を持って積極的に破壊しようとする姿勢が能動的であるのなら、受動的ニヒリズムは否定もなにもできない状態を指します。
ニーチェは19世紀末フランスにあったデカダンスの思潮に影響を受けていることが知られており、その美術家たちに対して次のような見解を持っています。
「生に対してニヒリスティック、生から逃避して陶酔の中へ、あるいは形式の美の中へ逃げ込む」
ニーチェが説く受動的ニヒリズムには、価値喪失に直面した際に持つ悲壮感に陶酔したり生から逃げようとしたりするその精神が宿っているのです。
TXT作品においてこれら中間状態のニヒリズムは「GOOD BOY GONE BAD」に表されています。後半に続きます。