TXT Concept 'Nihilist' & GOOD BOY GONE BAD考察:虹の橋を渡る時
この記事は前回の続きです。
中間状態のニヒリズムの少年
「GOOD BOY GONE BAD」の歌詞の中で能動的ニヒリズムと受動的ニヒリズムが顕著に表されていると感じる歌詞を見てみましょう。
価値喪失に直面し絶望に陶酔する姿は受動的ニヒリズム、自分自身を殺すという感情に移行していく様子は能動的ニヒリズムを感じます。
能動的ニヒリズムは「自ら意思を持って積極的に価値を破壊しようとする強さを持つ」とありましたがその強さは本当に強さなのでしょうか。
ニーチェやハイデガーの研究をしている後藤 雄太氏の著書では、能動的ニヒリズムをニーチェ自身が否定している箇所を引用しながら次のような考察が述べられています。
つまり能動的ニヒリズムの強さというものは、破壊でのみ効力を持つ、ということです。Concept Photo 'Nihilist' の写真を見てみましょう。
ギターに綴られた悲痛な想いと、破壊された空虚な世界……。
私はこれらの表現から違和感を覚えます。なぜなら感情のエネルギーは強く感じるのに目に見えるものは虚しく感じるからです。
「GOOD BOY GONE BAD」で過去の自分を葬りこれまでの価値を否定する思想の表明は少年の変化と力強さを感じます。しかし少年には新しい価値を生み出すほどの力はないのです。
Drugとは一時的な救済
少年にとって「君」とはどういう存在だったのでしょうか。
前回の記事では「0×1=LOVESONG」の歌詞を引用し、「君」を神のような存在、薬のような存在であると述べました。
ニーチェの断想にも神は薬であるという表現が残されており、「神を真なるものとする価値観」を悲惨な生存状況における救済としていました。
少年に置き換えるならば「君」は一時的な救済に過ぎなかったのかもしれません。
過去の考察でルイス・ブニュエルの「皆殺しの天使」という作品を紹介しましたがその作品に登場する主人公レティティアにはある呼び名がありましたね。
ワルキューレ
おさらいになりますが、ワルキューレは北欧神話、ワーグナーの楽劇、重松清著の「木曜日の子ども」など様々な作品で登場し「死」と深く関連性があります。
しかし、ルイス・ブニュエル作品におけるワルキューレは死を運びゆく存在として描かれていません。
自らを犠牲とすることで人々を救済する者
ここでも「救済」という言葉が出てきました。「皆殺しの天使」のワルキューレは邸宅内に閉じ込められた人々にとっての救済でした。しかしこの救済も"一時的なもの"に過ぎません。
ワルキューレによって「繰り返される夜」から解放された人たちは、またしても「自己監禁の夜」を引き寄せてしまう、という結末でしたね。これはつまり「ワルキューレという救済が根本的な解決にならない」ということの表れなのです。
君とはどんな存在だったのか
今回の記事は、1つの仮説を立てることで結びとさせていただきます。あくまで私の考察ですのでご容赦ください。
「君」は「ワルキューレ」であるということ
「皆殺しの天使」のワルキューレとTXT作品における少年の初恋相手「君」には共通点を見つけることができました。それは「一時的な救済でしかない」ということです。
そして「ワルキューレ」が「君」のメタファーであると考えた場合、他の作品でも関連性を見つけることできます。それは北欧神話に出てくる「ワルキューレ」です。
過去の考察で「テヒョンと北欧神話に登場するオーディンには共通点がある」という話をしましたが、この話に出てきたオーディンに仕える者がワルキューレです。
時に、戦場で傷ついた戦士たちの前に舞い降りる幻想的な恋人として謳われるようにもなったともあります。
Melon Music Awards 2021にて「0×1=LOVESONG」をパフォーマンスした際、登場した女性がいます。一部のMOAではこの女性が「ワルキューレ」なのではないかと考えている方もいらっしゃいます。
話を北欧神話に戻します。
北欧神話におけるワルキューレは、戦死者を選ぶ者として描かれています。
片目と引き換えに知識を得たオーディンはやがて「いつの日かアース神族は巨人族と戦い、世界とともに滅ぼされる運命にある」ことを予言します。
世界の終わりを知ったオーディンは自分に仕えるワルキューレに命令を下し強い人間の戦士を集め、終末の戦い「ラグナロク」に立ち向かおうと試みるのです。
「虹の橋」とは
さて、オーディンの住む世界と人間界を行き来するためにはある場所が鍵となります。それは虹の橋です。
実はTXTのCat&Dogに「虹の橋」という表現が出てきます。
犬や猫などペットが亡くなるということを「虹の橋を渡る」と表現することがありますが、その表現を踏まえると「亡くなるまで永遠に遊ぼう」という誠実な想いを感じ取れます。
しかし、この「Cat & Dog」に出てくる「虹の橋」はそれだけではないのかもしれません。
Billboardのインタビューでは「GOOD BOY GONE BAD」の「僕を捨てた君にしっぽを振っていた僕のpast」という歌詞について取り上げ、「Cat & Dog」でのGOOD BOY が GONE BADしてしまったという解釈が言及されています。
木曜日の子どもはどこへ向かうのか
このようにこれまでTXT作品に散りばめられたいくつかの要素と考察によって、少しずつですがこの先のTXT作品の行く先が見えてくるようにも思えます。
「君」は少年にとって唯一無二の存在であり、生きる価値でした。しかしそれは「Thursday's Child」で崩壊し、これまでの少年を否定するにまで至りました。
これまで正としてきたものを反とする
過去の考察で私は「少年の成長には「正⇒反⇒合」が行われているように思うのです。」と述べましたが、ここでは「正⇒反」までが行われていることがわかります。
これから少年が新たな価値を見つけていけるよう私は願うばかりです。