「ああいう、交遊、EU文学」発足記念イベント講演・補遺
昨年(2023年)11月の、EU文芸フェスティバル期間中に東京・青山で開かれた『変容することばたち』(11月23日)に、参加者のひとりとして登壇しました。 この日、参加したいろいろな言語の翻訳者は20名超。それぞれが翻訳する原語の未邦訳作品や未紹介作家をピッチスタイルで紹介するというステージでした。フィンランドの文学作品は、日本ではまだ翻訳されているものが多くないので、フィンランド国内での人気や、他言語への翻訳の有無を参考に、ぜひ知っていただきたいと思う作品がある作家を11名に絞って駆け足でご紹介しました。
今回は、当日、時間が足りなくて“語りつくせなかった”作家や作品を加筆して、改めてお届けいたします。
ミステリー作家たち
一般に「フィンランド」といえば、社会福祉が充実している国として知られています。しかし、そのフィンランドで、高齢者向けサービスホームでいろいろな問題が生じた時期がありました。そうした頃に発表されたのが、Minna Lindgren(1963-)ミンナ・リンドグレンの作品です。
これは実体験を踏まえ、高齢者向けサービスホームが抱えている問題を背景に、高齢者たちが住むサービスホームで起こった不可解な“死の謎解き”をすべく立ち上がった、80代の6人組を主人公にしたユーモア・ミステリーです。『Ehtoolehto (仮邦題「黄昏の森」)』という名のサービスホームがタイトルに入った三部作は、ヨーロッパの国々で翻訳出版され、人気を博しました。
リンドグレンは、ほかにも“ユーモア”やおかしみに包みつつ、フィンランド社会がかかえる問題(たとえば学校が抱える問題など)をテーマにした新しい作品も発表しています。
Max Seeck(1985-)マックス・シークは、ユーゴスラビア紛争の頃にヨーロッパをまたにかけて活躍したフィンランド人ダニエル・クオスマを主人公とする三部作でデビューした作家です。現在はフィンランドの長く、暗く、寒い冬を舞台に活躍する女性刑事を主役にした、フィンランドならではの要素を舞台にしたミステリー作品を発表しています。この作品は、アメリカでベストセラー入りするなど、欧米で注目を集め始めている“旬の作家”のひとりに列せられています。
旬の作家と言えばもうひとり、アイスランド在住で、アイスランドが舞台のミステリーで注目を浴びているSatu Rämö(1980-)サトゥ・ラモがいます。もともとエッセイなどを発表していましたが、今続いているミステリー・シリーズは、アイスランドの刑事と、フィンランドから研修でやってきた刑事がバディを組んで事件の解決に取り組んでいます。冬場の車の運転の仕方がフィンランドとはちょっと違うなどの“あるある要素”満載の作品です。 ちなみにフィンランド人の男性刑事はなんと“あみもの男子”。エキゾチックなアイスランドの自然や風習とも絡み合って爆発的な人気になっています。
ミステリー作家の最後に紹介するのは、2011年に亡くなったMatti Yrjänä Joensuu(1948-2011)マッティ・ユルヤナ・ヨエンスーです。私は勝手に「フィンランドの推理小説界の大御所」と思っています。文体は穏やかで、情景描写や心理描写は繊細。しかも事件描写が、説明となる社会的背景の伝え方も含め、きわめて緻密です。読んだだけで背中がぞくぞくし、“ぞわぞわ感”が迫ってくるのですが、このように感じさせる彼の表現力は、定年まで勤め上げた警察官(刑事)という職業上の経験が生み出した、迫真の表現力のなせる業なのかもしれません。更にまた、主人公の刑事がちょっと疲れた生活感をにじませるという場面もあるためか、事件と日常はつながっている、ということを読む者に感じさせるのかもしれません。ちなみに、フィンランドでは彼の多くの作品が映画化されています。
文芸作家たち
この先は通常、「文芸作品」に分類される作品の作家たちをご紹介します。
先ず紹介するのは、2021年のカンヌ映画祭でグランプリを受賞し、日本でも公開された『コンパートメントNo.6』の原案小説が代名詞のようになっている作品を著したRosa Liksom(1958-)ローサ・リクソムです。
電子書籍が今ほど普及する前は、古書店にもなかなか作品が出回らない作家といわれていましたが、若いころはモスクワに留学した経験もあるため、ロシア通の作家としても知られ、それもまた人気を高める要因のひとつになっているように思えます。
また、イラストやインスタレーションなども数多く発表しているため、どちらかというと「作家」というより「アーティスト」といった位置づけの方がよいのかもしれません。いずれにしろ、作品に触れる人たちに対し、常に「考える」ことの働きかけを行っているように感じられるアーティストです。
毎年10月末にヘルシンキで開催されるブックフェアでは、その年に新作を発表した作家たちがトークイベントを行うのが恒例になっています。そうした作家のひとりに、話を聞きに来る人たちの9割が女性(しかも、作家より年上)で、まるで「文壇のアイドルか⁉」と驚きの目で私が見たのが(10年以上前のことですが…)世代間ギャップ、性別ギャップを「家族」という人間関係の中で描きだす作品を出し続けている作家Juha Itkonen(1975-)ユハ・イトゥコネンです。
男女平等や女性の権利について語られるようになって既に久しいですが、その陰に、声をなかなか上げることができず戸惑っている僕たち、つまり“男たち”もいるんだよね、とちょっと“優しすぎる人間目線”の作品に私は惹かれています。
次は「世界は常に変化し続けている」ことを感じさせる作家の、旧ユーゴスラビア・コソボ出身のアルバニア人Pajtim Statovchi (1990-)パイティム・スタトヴチです。
2歳でフィンランドに移り住んだというライフヒストリーを持つ作家で、デビュー作『Kissani Jugoslavia(仮邦題「僕のネコ・ユーゴスラビア」)』は、アルバニアから脱出し、難民として国外に住む“僕”と母国に残った“母”との関係を描いています。紛争・戦争は、残念ながら常に地球上のどこかで起こっていますが、戦争や紛争というものの陰にあるもの、それに最も影響を受けている人々のことを小説を通して私に教えてくれたことを感謝したい作家のひとりです。
環境問題を取り上げている作家
次に紹介する二人は、ここ数年、フィンランドで特に関心が高まっている環境問題や森林問題をテーマにした作品を手掛けている作家です。
初めは「東部ラップランド」「魚」「神話」「環境問題」などをキーワードにした作品『Pienen hauen pyydystys(仮邦題「小さなパイクを捕まえる」)』を発表したJuhani Karila (1985-)ユハニ・カリラです。
家族が所有する土地に小さな池がある。毎年、決まった日までにそこに棲む「小さなパイク」を釣り上げないと、世界がとんでもないことになる……。その“とんでもないこと”とは、人々の水源となる水が枯渇するということ。その言い伝えを守るため、その池のある東ラップランドに戻る主人公。しかし、どういうわけか殺人容疑がかかり警察に追われる身に……。果たして、主人公は警察に捕まることなく水源を守ることができるのか。
物語の“動”の部分は「追われる者と追う者」という構図。そして“静”の部分が「人とパイクの関係」、つまり「現実と幻想」という設定になっています。映画であればロードムービー的な作品だといえるかもしれません。 なお、「パイク」とだけ訳すと間違っている……と指摘を受ける可能性があるので、念のため補足しておくと、「パイク」とは「キタカワカマス」、つまり「ノーザンパイク」のことです。こんなに長い魚の名前を入れ込むとタイトルがもたもたしますね。
二人目は、「最近、フィンランドの森林の様子がおかしい、何とかしなければ……、自分の意見に耳を傾けて欲しい……」と、環境問題について多くの人たちと語り合うために作家になったというAnni Kytömäki(1980-)アンニ・キュトマキです。
フィンランドの森林政策の転換期に当たる1950年代以降、森と人との営みの関係が変化していく様子を描いた最新作の『Margarita(仮邦題「マルガリータ」)』という言葉はもともと黒真珠の養殖に使う貝の学名から取ったもの。デビュー作から3作続けてフィンランディア文学賞の候補作に上がっていましたが、遂に2020年、この作品で『フィンランディア文学賞』を受賞しました。 拙訳で出版されている「フィンランド 虚像の森」(新泉社)でも紹介されています。
フィンランドらしいスローライフを描きだした作家
最後は、主人公の男性が、理想の『Uuni「(仮邦題「石窯」)』を自作する様子を描く長編小説を書いた、数年前に亡くなったAntti Hyry (1931-2016)アンッティ・ヒュリュです。
理想とする石窯の設計と材料集めを行う様子から物語は始まります。石を一段積み上げてコーヒーを淹れ、石の積み上がり具合を眺め、最後は完成した石窯でパンを焼き、コーヒーとともに楽しむなど、パンやコーヒーの香りまで感じさせてしまう、究極のスローライフ小説を残してくれた作家です。2009年に発表したこの作品でフィンランディア文学賞を受賞していますが、残念ながら、この作品が彼の生涯最後の作品となりました。
ここに挙げた作家たちの作品が、日本語に訳され皆さまの読書生活を彩る日が来る日を夢見て。
(文責・上山 美保子)
トップの写真:フィンランドのOTAVA社出版の本社兼直売書店入り口の壁。2013年9月筆者撮影
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