【短編小説】妄想女子飯 第四話 「松陰神社前 〜プレ ド ショウイン〜」
金木犀の香りに後ろ髪を引かれる季節が過ぎ去り、すっかり冬の始まりを感じる。11月も中旬に入り、朝晩はしっかりと冷え込むようになった。
今年は比較的温暖で、日中は半袖で過ごす人も見かけるくらいだが、流石に夜になるとコートが手放せない。
そんな今日は、田園都市線の三軒茶屋駅より世田谷線に乗り換え、松陰神社前駅へと向かう。
世田谷線は、住宅街の真ん中を突っ切って走るローカル線で、23区内では珍しく無人駅がたくさんある。
普段乗っている電車ではなかなか見られないのどかな景色を車窓から楽しむことができるので、私の心は密かに躍っている。
比較的ゆっくりすすむ世田谷線は、一部芝の上を進んでいく。
周りには色彩豊かな植物が並び、ここは本当に東京なのだろうかと目を疑いたくなるくらいだ。
松陰神社前駅をおり、改札も何もない駅のスロープを降っていく。
踏切のすぐ横に昔懐かしい面影のパン屋さんを見つけ、ついつい嬉しくなってしまった。
高校生の頃、購買で買った焼きそばパンを思い出す。
乱雑の中にもきれいにラップで包まれたそれは、これまで何人の心を魅了してきたのだろう。
あの素朴な感じがなんともあたたかくって、なかなか最近のお店ではお目にかかることができない。
「っと。だめだだめだ、今日の目的を忘れるところだった……。」
今日私が松陰神社駅前にきた理由、それは、友人のワインショップのオープン祝いである。
実は1ヶ月くらい前からオープンしていたのだけれど、ここ最近は何かと出張が多かったこともあり、オープン当初に駆けつけられなかったのだ。
松陰神社を後ろに、商店街の道を進んでいく。
新旧が入り混ざったこの商店街は、穏やかに程よい活気があって居心地が良い。
少し歩いたところで、目的地に到着する。
今は午後5時。このワインショップでは立ち飲みもできるようなので、友人に挨拶がてら、1杯飲んでいくことにしよう。
久しぶりに会った友人は以前よりもハツラツとしていて、本当にワインが好きなんだなぁということがヒシヒシと伝わってきた。
「ずっと自分のお店を持ちたいって言ってたもんね。オープン、本当におめでとう!」
なぜこの松陰神社前というエリアを選んだのか、オープン初日のハプニング、近況などを聞きながら、選んでもらったナチュラルワインを味わう。
実際に飲んで気に入ったワインをその場で購入できるなんて、本当に良い時代になったものだ。価格帯も手頃で、仕事終わりに自宅で一杯飲むのにちょうど良さそうだったので、そのまま持ち帰る用に一本購入する。
少しお酒が入ったこともあり、次第にお腹が空いてきた。
このお店で自家製のカンパーニュをつまむのもよいが、せっかくはるばる松陰神社前まできたので、近所を散策していこう。
店を出て少し歩いたところに、何やら小さなメニュー看板を発見!
「なになに?プレ ド ショウイン……?へえ、リヨンの郷土料理のお店だなんて、珍しいわね」
看板には、細い小道を曲がったところにあると記載されている。
商店街は一本道だと思っていたので、こんなところに小道があることに気がつかなかった。
小道の先は行き止まりになっていて、お店はきっとここぐらいしかないだろう。
このままメイン通りを進むか少し迷ったが、腹の虫がここに行けと大きな声で後押ししてくる。
今日の晩御飯は、ここで食べることに決めた。
小道を進むと、大きなワイン樽がテラス席代わりに置いてある。どうやらここが入り口のようだ。
「こんばんは〜」
こじんまりしたお店だったので、少し控えめな声で挨拶をする。
「あ、こんばんは。おひとりさまですか?カウンターでもいいです?」
スキンヘッドの少し強面な男性。店員が一人しかいない様子をみるに、この店のマスターだろう。
カウンターの奥へと着席する。
テーブル席には、赤と白のチェック柄のクロスが敷かれていた。
メニューを手渡され、分からなかったら聞いてくださいね、とマスター。
どれどれ、と見てみると、たしかにリヨンの名物がずらり。何を選ぶべきか迷ってしまう。
「リヨンの名物なら、リエットは外せないよ!」
ふいに、右側から声が響いてきた。
隣に目を向けると、少しくせのかかった栗色のショートヘアのフランス人。
「ワタシは、ルイです。フランス人で、リヨン出身です」
筋肉質でガタイは良いが、腹まわりは少しやわらかそう。彼曰く、バターやチーズなどを愛するフランス人の宿命なのだそう。
私と年齢が同じような雰囲気に反して、丁寧な言葉をつかってくる。これがギャップ萌えというものだろうか。
「ミチ!もちろんワインは飲みますよね?昨日はボジョレーヌーヴォーの解禁日でしたよ!」
今日は11月17日、金曜日。そうか、昨日は11月の第3木曜日だ。
マスターも、他のお客さんと「昨日は日付が変わるタイミングでお祭りをやっていた」と話している。
どうやら、ここのお店のワインは全てボジョレー地域のものらしい。
それならば、とボジョレーの赤をグラスで注文する。
「あと、豚のリエットとお惣菜の盛り合わせをください。それと……メイン料理を迷っているんですけど、おすすめは何ですか?」
ちょっと待ってね、と隣の席のグラスにワインを注ぐマスター。
「よく注文をもらうのは、ローストポークっすね。今となってはみんなが頼むようになりました。まぁ、他のメニューが日本人に馴染みないのかもしれませんが(笑)」
じゃあそれもお願いします、と伝えてワイングラスを手に取る。
「ささ、乾杯しましょう。サンテ!」
ルイと目を合わせつつ、グラスを持ち上げてから、口に運ぶ。
ボジョレーのワインは久しぶりに飲んだが、ジューシーで親しみやすく、気楽にワインを楽しみたい時にはぴったりだ。
早速、豚のリエットとリヨン風の惣菜盛り合わせ、パンが運ばれてきた。
リエットにはコルニッション、いわゆるピクルスもついてきた。
なかなか食べる機会がないけれど、リエットと一緒に食べると進むことすすむこと。適度な酸味がリエットの脂をスッと受け止め、流してくれる。
その後に赤ワインを口に含んだ途端、この組み合わせを考えたフランス人は本当に天才だ、と心から称賛を送りたい気持ちになった。
「これぞエデンで〜す!どう?美味しいでしょう?」
大量のリエットを一切れのパンに乗せて頬張りつつ、恍惚としているルイ。本当に好きなんだろうな、と一瞬で伝わってくる。
「うん、とっても美味しいね。これぞワイン泥棒だ」
答えつつ、私ももう一口。うん、何度食べても美味しい。
そして次は、リヨン風の惣菜盛り合わせ。この日はキャロットラペとレンズ豆のサラダ、ビーツのサラダ。このビーツのサラダが、なんとも好みの味だった。見た目も鮮やかなピンクで目を引く。レンズ豆は日本料理では登場する機会が少ないが、フランスでは定番の食材の一つだ。素朴なのに、しっかり旨味もある名脇役。
「赤と白のチェック柄のテーブルクロスは、リヨンの大衆食堂”ブション”の名物なんですよ」と、ルイが説明してくれる。
なんでも、リヨンは美食の都と言われている都市だそうで、その中でも認められたお店だけがブションと名乗れるらしい。
このお店のメニューにもあった「クネル」は、ブションの料理のようだ。「クネルは家庭でもよく作られる料理で、ワタシの両親が作るクネルもとっても美味しいんですよ!」
日本で食べるのも良いが、せっかくならば本場フランスでいただきたい。
次にフランスに訪れるときは、パリだけでなくリヨンまで足を運んでみよう。
ルイのような素敵な案内人がいたら、とても素敵なフランス旅行になるだろうな。
フランスは愛の国だと言うし、積極的にアプローチされたら恥ずかしくて困っちゃうな?
ふふふ。でも、それも悪くないか……
「おーい、ミチ?大丈夫?」
ぼーっと妄想してしまっていたようで、ルイが心配そうに覗き込んできた。
「あはは……ごめんごめん、大丈夫。」
いかんいかん、しっかり目の前の食に向き合おう。
前菜もあらかた食べ終えたところで、メインのローストポークが提供された。
艶やかしっとりな断面、ほてった頬のような桃色がなんとも艶かしい。
シンプルに焼いた豚に、付け合わせが1種類。なんとも潔い一皿だ。
そう素直にマスターに伝えると、少し照れくさそうな、それでも芯のある声が返ってきた。
「複雑な事はいらない、純粋に美味しいと思いたいのなら普通こうなるでしょ、ていうメッセージになんすよ」
噛むとじゅっと溢れでる豚の旨味。甘くてやさしい脂の旨味、むぎゅむぎゅと噛み締めるたびにどんどん頬が緩んでくる。
なるほど、たしかに。本当に美味しいものは、シンプルだ。
「リヨンは労働者の街だったので、大衆料理のブションがたくさんできました。ぜひ一度、本場のブションも体験してみてください!」
きらきらとした目でこちらを見つめるルイ。
「うん。そのときは、ぜひ案内してね」
そう答えつつ、先ほどしていた妄想が脳裏に戻ってきたのか酔いが回ってきたのか、少し顔が熱くなる。
コロナも落ち着いてきたし、会社でもそろそろ海外企画が上がってくる頃合いだろう。
グラスに残ったワインを飲み干しつつ、次の企画はフランス特集にしよう、と心に決めた美智であった。
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