こどもは余白の時間で、世界を旅する。
ママ!これ見て!
去年うめジュース作ったの6月13日だってー!
納戸から息子が、まるで大発見のテンションで
大きな保存瓶を抱えて走り出てきた。
うめじゅース
つくったひ
6がつ13にち
去年のラベルがそのままになっている。
今年もやりたい!ぼくやる!
ぼくが、ぜーんぶやるからね!!
わ、そういえば、そんなものが。
今年はすっかり忘れていたなあ。
そして思ったのだ。
こどもというのはどうしてこう、納戸が好きなのだろうか。
窓もないし、昼間だって薄暗いわが家の納戸は、「しばらく使わないものをほうりこんどく場所」なのだけど、彼にとっては特別な秘密基地。
工具箱をあけてさまざまな形のドライバーを眺めたり、自分のおもちゃの電池をはずして替えたり。
災害用の懐中電灯を天井に照らせば影あそびができるし、なにが楽しいのか脚立にのって手の届かない棚をすみずみまで調べ、賞味期限切れの非常食を見つけて教えてくれたりする。
なんか静かだなぁと思ってのぞきに行くと、
床の上でちょこんと背中を丸め、保育園のころのアルバムを引っ張りだしてめくったりもしている。
そういえばわたしも、田舎のおじいちゃんの家の暗い納戸が好きだった。
わたしだけじゃなくいとこ達だって、こどもはみんな好きだったんじゃないかな。
夏の日中でもあまり光が入らず、ひんやりと冷たい板張りの床は涼をとるのに絶好の場所だった。
そこには何があったのか。
読み終えた新聞が麻ひもでしばられ、隅っこに大きなかぼちゃが転がっていたこと。
こどもの手では抱えるほどに大きく感じた懐中電灯があったことくらいしかもう記憶にはないのだけど、大人には秘密の会議は、いつもそこで行われた。
それはたとえば、勝手口からこっそり家を抜け出して呼び鈴を押し、大人たちを驚かす作戦だったり、おばあちゃんの誕生日に部屋を飾りつける相談だったりした。
なんにもすることのない夏休みの1日だって、なぜかヒマだなあとは思わなかった。
外の畑で摘んできたヒメジョオンやエノコログサを、お母さんにプレゼントするため折り紙で巻いて花束にする。
大人たちを手作りのお化け屋敷(これも納戸)に招待するために、ヒモや布、マジックペンを使って火の玉の仕掛けを作る。
なんだか一日じゅう、新しいことをひらめいてはやることがあり、そこにはワクワクした気持ちがあったのだ。
そんなこともあって最近わたしは、できるだけ息子の日々に「余白」の時間を作るように心がけはじめたところ。
正直なところ、これがしたくて会社員からフリーランスになったといっても過言ではない。
そうしたら毎日が、めちゃくちゃおもしろい。
パソコンをしていると、一枚の地図がそっと差し出された。これからリザードンの部屋(納戸)でお茶会をやるらしい。
地図をもらったスネオ(わたし)がのこのこと行くと、せまい床にクッションが敷いてあり、水筒を持った息子がコップに飲み物を入れたりしてせいいっぱいもてなしてくれた。おかわりを飲む間じゅう、うちわでそよ風を送ってくれるリザードンさん。。素適な会をありがとう。
お茶会から仕事に戻ってしばらく、
「郵便でーす」
今度はなにやら大きな画用紙が郵便やさんから届く。
息子が考えたヘビのモンスター?に、ジャイアン、スネオ、のび太、ドラえもん、しずかちゃんの5人からそれぞれ名前をつけてほしいのだそうだ。
なんかそれらしき名前を書き込んで郵便やさんに託した。
次は、みんな大好き、ブリンバンバンボンをピアノでひきたいということで、iPadで調べながら練習。
ひとりで黙々と続け、片手のメインメロディーは通しで最後まで弾けるようになった。
納戸の壁には色んなものがベタベタとはられて、息子の世界を少しのぞくことができる。
こどもの発想は、自由で無限。
どこにだって連れて行ってくれる。
こどもは余白の時間で世界とつながり、空想の中にとびだしてゆくのだ。
そして思うに、普段あまり家族が立ち入らずどこか秘密めいた納戸という場所は、その異世界とつながっているとみえる。
いつかの夏のわたしのように。
わが家の小さな納戸でも、息子もたくさんのひらめきと、どこにだって飛んでいけるような胸のときめきを感じているのだろうか。
そうだったらいいなと思う。