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no9. 心身の崩壊

 結局、男は誰とも別れる事も出来ずに、わたしともずるずる続けた。
 わたしは苦しかった。全ての人から見捨てられたから、わたしは男から求められたはずなのに、どうしていつのまにかこんな4股されている形になっているのだろうかと。しょっちゅう、一緒に夜ごはんを食べたり、泊りに来られたり、するのだが、他の女の影もわざとチラつかす嫌な奴だった。土日にわたしの家に来た後に、別の女のところに行くんだろうなと感じるときもあった。ひどく困惑した。つらかった。

 会社の仕事もいつも残業が当たり前で、土日出勤も、上司としての男に呼ばれていくこともあり、いつも忙しかった。いろんなストレスを抱えて、だんだんわたしの身体が壊れ始めた。まず、腹痛。
 痛くて痛くて、腸カメラをすることになったのだけど、腸が痙攣している、と言われた。仕事中も構わず痛くなるので、ロッカールームのソファに少しの間、横になる事もあった。
 眠れなくなった。夜、眠れなくて、何時間たったかな?と時計を見ると、ほんの5分しか進んでなかったりして、本格的な不眠になっていた。2週間まったく眠れない日々が続き、それでも仕事はするわけだけど、あるお昼休みに、目の前が真っ白にかすんで、頬のピクピクが止まらないということになったとき、一緒にいた子が、「顔は神経がたくさんあるからね」と言われたように、神経がやられていた。
 心が折れていた。死にたいと思うようになっていた。仕事はきちんとこなすのだが、他の一人の時間は死にたいと泣くようになった。最初は、寝る前に、枕を顔面にぴったりつけて声が漏れないようにして、「死にたい死にたい」と2時間くらい喚いていた。それに疲れると、次の日会社に行けるように冷たいタオルを目の上の置いて、寝る(この頃、腹痛や不眠で内科に通っており、安定剤と睡眠剤を処方されるようになっていた)というところから始まって、そのうち自宅に帰るとすぐ泣きだすようになり、その次は、会社のビルを出たらすぐ泣きだすようになり、最終的には、泣きに家に帰るのが嫌だったので、幹線道路沿いの路上で大声で泣くようになっていた。
 いのちの電話もリダイアルを繰り返して、なんとか話し相手を見つけると、話は止まらず、2時間がたつと「疲れたでしょう。そろそろ寝てください」と向こうから切られるまで話を聞いてもらっていた。

 でも、会社ではそういうところを一切見せなかった。仕事に集中することで、辛さを紛らしていたのかもしれない。友達にも相談できなかった。でも休みの日に一人で家にいるのはきつかった。今頃、男は別の女のところで、別の女とセックスしているのだろうと想像がつくからだ。しんどかった。

 心身ともにぼろぼろになっていた。

 プロジェクトが一段落したところで、会社を辞めようと考えるようになっていた。本当は続けたかった。でも、男との縁を切るためにはこれしかなかった。男には、嫁と3人の子供がいる。そして前例があるから、今回のわたしの件がバレると会社をクビになるだろうと思っていたので、ひたすらそれだけは避けられるようにして、わたしが代わりに辞めたらいいんだと考えるようになっていた。何故そこまでの自己犠牲をしてしまったのか、今でもわからない。きっとしんどすぎて正常な判断ができなくなっていたのだろう。誰にも相談できないのもつらかった。

 わたしは会社を辞めたくなかった。上長からも、いい条件をもらって、続けるように説得されていた。①疲れているだろうから、一ヶ月の休暇をとってよい、➁年収を100万円アップする、③将来、好きな仕事なんでもできるように取り計らう、とのことだった。当然、残りたかった。でも、男がとめないのだ。やめてほしいのがよくわかった。酷いと思った。男は、わたしの気持ちを知りつつ、わたしが男の事を吹っ切って、元気を装っているときに限って、会いたがる。逆に、他の女への嫉妬とかで、落ち込んでいるときは、わたしに寄りつかない、なので、余計に寂しくて苦しくて、つらくなっていた。

 結局、退職を決意し、辞表を出してからも何度も止められ、最終日にも、止められたのだが、辞めることができた。逃げたかった。しんどいのから逃げたかっただけ。会社を辞めたいわけではなかった。わたしはまだまだその会社にいたかった。でも、誰もわたしの気持ちなんてわかりようもなかった。事情を知らない人からの心無い言葉もいくつかあって傷ついたりした。 
 わたしの最終日、男は出張で会社にいなかった。そうしてわたしは無職になった。

 年末ぎりぎりに退職をし、お正月は久しぶりに家族4人で、いつもの神社に初詣にいったのだが、わたしの気持ちは死にたくてどうしようもなかった。どうして家族の誰も気付いてくれないのかわからなかったが、とにかく大きな篝火の中に身を投じたくて、でも、人が沢山いるので、助けられてしまうのではないかと考え、でも、火にじりじりと近づいて、焼け死ぬことを想像していた。もう少しで、もう少しで、というところで、ちょうど家族がお参りから帰ってきて、わたしは一命をとりとめることになった。この時が一番最初の自殺未遂だった。

 後日談だが、多分取締役はわたしが辞める理由をわかっていたに違いない。そして、何も言わなかったのには理由がある。何かというと、取締役自身もが社内の女性を愛人にして、何年もその状態を続けていたらしい。そして、その女性に訴えられることになり、女性が勝ったと聞いている。

 わたしは、もう無力だった。疲れ切っていた。疲弊しきっているのに、男は、土日に仕事を持って、わたしの家にあがって、わたしに仕事をさせていた。自分のせいで会社を辞めざるを得なくなるまで追い詰められた女性の家によく呑気に来るよなと思う、今なら。当時は判断能力が無くなっていた。

 わたしは会社に戻りたかった。電車に乗っていて、会社のビルを見るたびに涙が出るようになっていた。ある日、同僚の男性とたまたま電車ではちあわせたとき、懐かしくて話したかったのだが、涙のほうが先に出て、ぼろぼろ泣いて逃げてしまった。

 会社で入っていた、メンタルヘルスのカウセリングの男性と話すようになっていた。その時、わたしは解離していると言われた。それで、今までみたいな気持ちと裏腹な行動ができたのだろうと思った。その男性と話している最中にも、一度、人格が変わったと思われた時があり、大きな病院の精神科を受診するように言われた。それが初めてで、大阪ではそれっきりの精神科の受診となる。

 女医さんだった。わたしは待合にいるときから泣いていた。つらくて仕方が無かった。ろくに医者に話もできなかった。医者は「人の神経はばねのように伸びたり縮んだりしているものです。あなたのはぴんと伸びきっていて、今にもぽきんと折れそうになっている状態です」と言われた。特に処方も、再診の話もなかった。

 わたしは会社にいる頃からお世話になっている、自宅から歩いて2分ほどの、内科クリニックで、薬を貰い続けていた。2週間眠れなくなった日から、今日まで、もう30年くらいになるのだが、一日も睡眠薬を飲まなかった日はない。(今は、13錠くらい飲んでいる。)
 医師にも本当の事が言えず、会社の仕事がしんどくてつらいんだろうと思われていた。

 あの時期に誰か、わたしの状況に気付いてくれて、いろいろ、仕事を止めなくても良いアドバイスをしてくれたり、福祉的なアドバイスもしてくれる人がいたらよかったのだが、そんな時代ではなかった。なので、わたしはいまだに、障害年金をもらえていないし、一生貰う事はできない。初診証明ができないと2度断られている。

 もう思い出すのもつらくて、書いてることがめちゃくちゃになっている気がするが、書いておきたい。

 わたしは退職後、毒親の元に帰るわけにもいかず、一人暮らしを続ける為、単発の派遣の仕事を貰うようになった。でも、それすら続かなかった。仕方が無いので、派遣会社に書類を貰って、雇用保険からお金を貰った。

 そして、自傷行為や自殺未遂ばかり繰り返すようになったんだ。

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のらねこ
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