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発酵する旅

  neeさん、この夏の宮古での旅はいろいろお世話になりました。
まさかこれまでの沖縄の旅がこんなに深いものになっているとは、91年に初めて沖縄伊是名島へ映画ロケした頃の私から想像できないです。
 91年に沖縄に来たときは、沖縄のことなにも知らなかったし、2007年に初めて単身宮古島で1週間ほど過ごした際にも、宮古の歴史や文化なども知らぬままでした。それが映画ロケで一緒だった琉大映画サークルの連中をはじめ、単身の宮古ではまず突然海から上がった私が農道で出会した2人の老夫婦を助けたこと、そして最終日に西原の石嶺豆腐の夫婦に出会うわけですが。そこからいろんな人に出会って、あなたにもやっと出会えました。
昨年秋にTwitterのスペースで話した「勝手に外間守善」から、こんなに早く、発酵具合が進むとは思いませんでした。

 思えば、琉球スタディなるものを細々と ryo-king や福建省から来た作家の永和さんと始めたのがコロナが流行る少し前。
   沖縄の歴史、近代史、文化、言葉などなどを齧り始め、伊波普猷先生、そして外間守善先生と読むようになり、なぜか柳田國男や折口信夫を通過せずに、沖縄の民俗学視点、そして根の国について、宮古島に今でも存続する集落の祭祀、そこにまつわるさまざまなもの、神歌、歌謡、人の営み、コミニュティなどの誕生について、ろくに本を熟読するわけでもなく、ひたすら気の向くままあっちこっち歩きました。 沖縄本島、そして今年とうとう辿り着いたのが、宮古島の狩俣だった。

 本当にあっちこっち旅をして歩いて、人が振り向きもしないこと、場所に分け入っては驚いたり、感動したり、そのあまりの美しさに感涙したり、でもそのほとんど全部と言っていいほどが、本当に誰もが振り向きもしないような、ひっそり目立たない、目立ってあったとしても、今は誰もが来るような場所でもない、たとえ来たとしても、そこなの?わざわざみに来たところって!?と、ウチナーのひとにがっかりされるような、忘れ去られたような、素朴な場所ばかりを点と点で結ぶような、勝手に星座を作って、それを採取し、そっと甕に漬け込むようなことをやっている、そんな気がしてなりません。漬け込んた甕を在住のryo-kingやあなたに発酵具合の定点観察を頼みつつ。

 例えば、今回は、コザという基地の街の深夜から旅が始まりました。
 ゲート通りは、ここはベトナムかカンボジアかの繁華街か?という具合に若い世代で大変盛り上がっていました。しかし、その通りを支えている両側の建物は若い世代の喧騒とは対照的にとても年季が入っていて、古いという概念を通り越して、もはや発酵している。そんな印象を強く受けました。でも、それはコザだけじゃない、沖縄全体が発酵をしているのかもしれないなと、今回の旅で感じられたのです。コザから宮古島、そして那覇と旅をした今回ですが、それぞれの土地で感じたのは、まさに土地の発酵でした。

 土地が発酵する。
 そう感じられたことに奇妙な興奮を覚えました。
 何十年ものの酒やチーズのように、発酵への恍惚なるイメージもありますが、土地の発酵というものはそこに何人もの人々が集い、対話し、歌い、踊り、寝食し、生きた証です。いや、人と自然との共存でもあり、しかも、共存って一言で簡単に表せないほどの、自然との対峙であり、共存せねばならなかったことも含め、全く関わりもないその土地にまつわる奇妙な興奮です。

 でも、関わりはないけれど、ゆっくりよくよく考えてみれば、私が生まれた土地にも、同じような発酵具合があったりするのだな、その土地に人が集う意味、生きられた証、自然との共存が全く同様にとはいかずとも、似た何かを感じられました。

 さて、その発酵する土地を巡り、私は途轍もなく大きな出来事、人々に出会ってしまうわけですが、彼らも発酵していました。もう熟成の域です。
 それが、宮古島で出会った石嶺とうふのご夫妻であり、そこの土地の祭祀を通じて感じた土地の発酵。また、今春からふとしたきっかけで nee さんの狩俣集落へのいざないです。狩俣で出会った人々、そこで生まれ生きて亡くなった人々、すぎ去った人、集った人々、森、ムトゥ、小径、などなど、土地全体の発酵と新しい土地の何かを感じたこと。これをどうにか書き記しておきたいのですが、どうにも今はまだ整理つかずで、毎日思考の連続です。いや待てよ、これこそが私の中の発酵が始まってしまったということなのでしょうか?
 
 とにかく、出会った人のことは書いてゆきたいと思います。
 でも、おそらく難しい、断念するかもしれませんが。
 とりあえず、外間守善先生と狩俣に入った新里幸昭先生に出会えたこと、そしてあの平良マツさんの娘さんにも出会えたことだけは、ここに報告します。
 
 ここからの話が、まさに発酵で、私には一体どう言葉を紡いでいっていいか
全くもって現在はお手上げです。
 でも、こんなに土地が発酵して生きているというのも珍しいと思いました。
 せめて、根の部分が腐らないよう、という心配もありますが、発酵が深くなることは土地にとって果たしていいかどうかも、正直わからないですが、とにかく、魅了されております。

 しかし、発酵は危険もつきものです。
 腐食してしまったり、爆発してしまったり、雑菌が入ったりすれば命取りにもなりかねません。土地の根っこの部分も腐ってしまいます。
 ですから、どうにか、そうならないよう、なる前に。
 発酵する土地の旅を通じて、私が残しておくべきことは何か。 

 つづく
 

 
 

 

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