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沖縄っ子たちよ!

沖縄っ子たちよ!
今夏も世話になったなあ。
思えば30年もキャ人の誕生日を祝ってくれているんだよね。
あれは恩納村だった。
まだ恩納村が空港からどんくらい距離が離れてて時間がかかるかとか、あまり考えてもなくクラゲのように浮遊していた頃だ。
私はまだ30歳にもなってなくて、お酒飲むか仕事するか恋愛するかそんな退廃的な時代だったと思う。
なぜか沖縄っ子たちとそこで知り合って、次第に知り合いも増えていく。
まあ50歳で生前葬もあげたし、そんな愉快でバカみたいなことを一緒に
やってくれる楽し楽しなノリの愉快なトモダチ。
それってとっても大事なんだよなって最近60歳を目前にしみじみ噛み締めているとこだよ。
便利屋で餃子つまみながら飲んでダラダラと栄町を回遊する魚を追っかけるのらねこみたいに、みんなで楽しかった。
みんないつの間にか大人になっちゃって、くっだらない社会や組織のしがらみに塗れて、くっだらない思考になる時もあるよね、でもまた最初に出会った頃のように、バカだなあバカでしょうとか爆笑しながら、懲りずにバカをやり続ける
キープオンの精神が、なぜか沖縄っ子たちに再会すると、加熱するというバカ度満載さがたまらなく好きです。そして優しくて、弱っちくて、傷つきやすくて、でも、てーげーで、そんな沖縄っ子たちにいつもありがとうって思います。私を子供のままにさせてくれてありがとう。


※扉写真は30年前のキャ人と私だよ、まだ結婚もしてない赤の他人の2人。
撮影場所が金武なのでアメ女のフリしてダッコちゃんみたいにぶら下がって
見たものの、キャ人は怪しい東洋人にしか見えないね。

でも遊んでばかりじゃなかったよね。
そもそも91年の『パイナップルツアーズ』で一緒に映画作った仲間だし。それから私が病気になって療養中も助けてくれたり、私に妊婦役のヒロインをこさえて探偵事務所5シリーズの『マクガフィン』も撮ってくれたり。私が初めての出版物『子宮会議』を出した際に一緒に子宮頸がん予防啓蒙活動のイベント手伝ってくれたり、あれ桜坂劇場三百名くらい入ったよね。
音楽やる時もたくさん応援してくれたり、プラザハウスを三百名の人で埋めたとか信じられないよねえって、今回もプラザハウス眺めて思い出していたよ。
今はなき首里劇場でもライブさせてもらったり、またしても映画『パイティティ・ザ・ムービー』も撮ったよね。原口監督は首里劇場や国際通りでウクレレ弾きながら練り歩く様子を変わりゆく沖縄の風景とともに記録してくれたよね。今はなきものたちが映画に切り取られて映っている。
そう、なんだかんだ映像は記録をし、そして仲間は映像で繋がるものだね。

那覇の街歩きイベントもやったね。あれも七十名くらいでテンブスから国際通り、市場の中へとよく歩けたよね、あれはアメージングな街歩きだった、そしてその後のトークも楽しかった。みんなが笑ってくれて、ああ、沖縄だなあって。
でもこれらも遊びの中から生まれたんだよね、小学生や高校生の文化祭じゃないけどさ。プンスカしたり、色々あったけど、私はいいことしか思い出せない。
NK細胞が買ってるんだろうか、嫌なことはどんどん消えてってるのかも、がん細胞と同じだね。

今回は酒をキッパリやめた私が、久しぶりに憂さ晴らししたくてたった2杯で酔っ払って栄町徘徊。ハシゴ酒で鼠ーランドに行った夜もドットオチでほぼ覚えてないけれど、でも楽しかったんだろうなあと、ゆらゆら揺れる残像をかき集めて、あはは!なんて思い出し笑い。あの店はなぜ3台もジュークボックスがあるのか、またあそこで意味不明にレコードかけまくって楽しみたいものだね。また行けるのかわからないねえ、そんな時代になってきちゃったよ。うん。だんだんいつ会えるかわからないよね、本当。

そして、南部をドライブしたり、もう何十年ぶりにドライブしたかねえ。
あの頃はまだ斎場御嶽がタダで入れたよ。あの鏡も久高島も見えたよ。
そんないい時代もあったんだよね。
奥武島の龍宮のあんな場所にカフェってなんだよって。奥武島は天ぷら屋だけで十分じゃないかって。魚買って帰れよって。そんなプンスカしてもね。私は変わりゆくことは嫌いじゃない、よくなればいいし、慣れることも大事だからね。そこに悲観的になってても怒りを覚えても疲弊するだけ。そして何がなんでも変わっちゃうんだからしかたない。でもまじにやばいよって思う時は立ち上がりたいよね。なんだよあの浦添の軍港はとかさ。そんで持って、変わっちゃならねえのは、人だよね。顔と顔で、話して、会う。人だよね。人は人から生まれてくるんだもの、やっぱ人だよね。
沖縄っ子たちよ!そう思わないか?

東京に戻って、川沿いの道を自転車でプール帰りに鼻歌混じり思い出したんだ。子供の頃の夏休み。野外の市民プールにひとりでいっちゃダメだと言われてたけど、ともだちといけない時あって、こっそり1人で行った時があった。ちょっと遠い道のりが、少女の心には冒険だった。正直怖かった。何が怖いのかわからないけど。変なおじさん?交通事故?神隠し?住宅の裂け目に吸い込まれ次元の違う場所へ消えること?何が怖かったんだろう。
少女の私は帽子の紐を口に咥え、自転車をゆたゆた漕ぎながら、鳥たちに出会うといちいち挨拶してた。今の私もおんなじことをやってた。
バカだな。変わってない。帽子に紐がないから口に紐はくわえてないだけで。
プールの帰り道、やってることが同じ、ただ年取っただけだ。

大事なのは冒険することだ。
今年の夏は一度きり。
いつもと違う道をいく。
旅だってそう、人と会うことも。
沖縄っ子たちと30年以上の付き合いになるが、彼らとなんだかずっと子供みたいに、でんぐり返ったり、バカやったり、笑っていたいなあ。
夏は冒険しよう。
今度行く時はみんな海水浴しような。
夜の回遊もいいけど、海遊び、しような。
疲れたら、木陰で休もうな。

そんな日を夢見て、また都会に塗れて精進します。

そして、またもし会えたなら、まるではじめてのように、
はじめようじゃないか。

南部ドライブで聴いた曲が久しぶりの爽やかな青空に似合っていたね
あの時君は若かった
https://youtu.be/0t4ni3tkJU0?feature=shared


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