2023年に出会った音たち
びっくりした。
偶然買ったレコードからこんなに連鎖するとは。
猫好き連鎖って凄い。
片岡知子さんはマニュエラオブエラーズ所属の音楽家ですが私は全く知らないでいました。まずこれは恥ずかしいことで、某CMで彼女の楽曲が使われてそれで知っていました。当時そのCM見るたびに猫のニャーリーと踊って見るほど好きでしたが誰が歌ってるとかそこまで調べませんでした。下高井戸に越してからのらのら散歩してたら偶然このレコードを入手しやっとプレイヤー繋げて聴いたらこの曲が4曲目に入ってました。猫好きならイチコロの曲です。中のライナーノーツによるとこの曲は映画『素敵な人生の作り方』のサントラになっているようで早速アマプラで見たら、なんと『40歳の童貞男』のジャド・アパトー監督でした。そして使用されていたのは大好きなジョナ・ヒルの場面でした。日本語で歌われているのですが猫好きにはこの曲は響くのでしょうか。猫動画の音楽として使われておりジョナの演技に笑いました。ハリウッド映画のサントラにまで使われるなんて片岡さんの才能に脱帽ですが、それ以上に猫好きはボーダーレスだということに改めて愛の深さを知らされました。片岡さんは3年前にお亡くなりになってしまわれたと伺いそれもとても悲しいことですが、レコードに初めて針を落としてこの曲が流れてきた際に、空に近いこの部屋の窓からうちのニャーリーが舞い降りて入ってきて、その時一緒に片岡さんも降りてきたそんな気がして、それを感じたら、私は崩れるように号泣したのでした。どうもありがとう。奇しくも片岡さんの命日の3日後、重陽節の月あかりほのかな夜でした。
これをここまで書いてアップしていなかったのはなぜだろう。
そのくらい今の私は脳内がヒッチャカメッチャカになっている。
そう。この2年くらいがそんな状態で、自分のことよりも何か他のことを優先しすぎてきた気がする。これじゃ前に進まないと、環境を一気に変えてみた。しかも苦手な場所へ。
と、ここまで書いて、更新できぬまま。
今は、2023年の大晦日の朝。
今年もいろんな音、レコードに出会いました。
中でも、宮古の狩俣の神歌という、本来ならば神に捧げるその歌を私が耳にするということは、ありえない出来事で、そこに何か地上から一瞬どこかに脳だけが飛んだというか、不思議な感覚を味わいました。言葉もわからないので何を歌っているのかそれは本を紐解きながらじゃないと味わえないのですが、言葉わからないのに、何か人の心を捉えるあれは何かなと。お経でトランスってのも小さい頃に味わったあれに少し近いのかも。
そして、昔夢中になったのに最近聞かなくなった音や昔の音を丁寧に聞くようにもなりました。ジミー時田とマウンテンプレイボーイズだっけか、あれは父が好きで日曜によく聞けた盤でB面のキャプテンバッファローが私は大好きで、こんなジャケットにあるインディアンの人にいつか会えたら握手とかできるんだろうか、この靴、動物の皮なんだろうなかっこいいなとか憧れを抱いておりまして、お出かけの時などは先住民的ビーズのネックレスとかぶら下げておりました。それがカナダで同じようなビーズのネックレスを買ってる自分に笑ってしまいました。そしてサントラです。やっぱりサントラ好き。轟夕起子の映画の主題歌のチャッカリルンバなんかそうで、小津のサントラ集も最近はヘビロテ。ポールトーマスアンダーソン作品のサントラも。それと懐かし系だとプラスチックス、チープトリックなんかもそうかもしれない。中学生や高校入学してたでしたから鮮烈だったでしょう。その頃、渋谷や原宿も歩いて古着の魅力に取り憑かれたり。そうこうしてると15歳で週刊朝日表紙や脱がない激写なんかやるようになって、カメラマン、編集者、スタイリストという仕事の人とも知り合って、へえこんなして作るんだとか知るわけで、興味も深くなっていくわけで。
金延幸子さんという人を宮古のピーブー経由から知るわけだけど、まさかこんな歌を歌う人が日本人でいたとは知らなかった。世の中には新しく生まれてくるものもあるけれど、聞いてみるとフェイクというかもうすでに聞いたことある歌声だったり真似事だったりでガックリしちゃうこと多々。そう思うと、彼女はどこでもないわけで、そう思うと、比屋定篤子の歌声も然り。与世山さんもそう。やっぱり出自というかアイデンティティって出ちゃうんだろうか。あれこれ迷いがある人のを聞いていると、ブレてるもの。
ブレないしなぜか新しい発見がある秩父のギタリスト笹久保伸さん。彼のレコードを初めて買って何度も聞いた今年でもあった。そして今年は秩父の武甲山の朝も堪能した。まさに彼の音がそこにそのまま漂っているそんな気持ちの良い朝だった。そして南博さんの音楽を堪能した今年でもあった。だって映画になったんだもの。レコードで聴きたいなあ、ノンシャラント。私は立ち猫のイラストでステッカーまで作ったほど。いろんな音を聞いた。でも一番印象に残っているのは、やはり宮古のあの狩俣の集落で耳にした孔雀の羽の音や、集落を抜ける風のざわめき、私が歩いた石垣や土を踏みつける音。小さな友達の声。
門外不出の神歌を目の前で歌ってくれた平良マツさんという女性の娘さんの声。
それを丁寧に真夏のあつい中、あの当時、マイクを傾けた新里幸昭さんの声。そんなのがなぜかとても印象に残った一年だった。さらには、亡くなった猫の声も、そして自分の声が少し母に似てきたことも。