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琉米文化と中国料理 プラザハウス「月苑飯店」


梅咲く2月も半ば。
今年は元旦に久高島から昇る初日の出を眺められたり、体調整備のために沖縄に少し滞在したりで、みんなとも会えたりまた発見あったり。
栄町市場内にある宮里小書店にお邪魔したおかげで本を通じて憧れていた宮里千里・綾羽親子と仲良くなれたり、なんだかんだ相変わらずのらのらほっつき歩いて沖縄探索猫となっておりました。のらのら歩くのはいいけれど、なんだか着たきり雀で、定番のオーバーオールかカーミットに変身すべく緑のスウェット上下にカナダで重宝したアークテリクスのフーデイーゴアテックス。こんな格好じゃあ……そうだ!たまにはおしゃれしなきゃ、しかもそろそろ東京での仕事も多くなる。というわけで、沖縄でおしゃれなものを買うときは、とりあえずプラザハウスに行く私です。若い頃だったら小さなショップあちこち巡るのも楽しかったし苦労じゃなかったけど、今はもうそのパワーを映画やのら散歩や人に会うときにに使いたい、それにまず着心地のよい長く着られる服が欲しい、と私の希望を叶えてくれるのが、プラザハウスにあるのでした。正確にはロジャースか。沖縄っ子はよく知ってると思うけれど、あのライカム交差点近くにあるライカムイオンショッピングモールじゃない、日本最古のショッピングセンターがプラザハウスとロジャース。そもそもライカムって米軍のリュウキュウコマンドの略ですから。ライカムってイオンじゃないから。あ、説明下手ね私ってば。


プラザハウスショッピングセンター

そのプラザハウスですが、長い回遊廊に小さな店舗が立ち並び、奥に大きな建物のロジャースがある。私はロジャースで服を買うのだけど、最近のお気に入りがイタリア人デザイナーで舞台演劇などの衣装を作っている人が手がける服でなんと着心地のいいこと。人気らしくすぐ売り切れちゃう。赤いセーターはすでにヘビロテ。こないだも収録でそのイタリア人デザイナーの紫の襟が美しく横に開いたニットワンピを着ようかと思ったけど、同じロジャースで買った他のブランドで着心地のよい黒ニットのオールインワン、そっちを着た。本番では上着で見えないけれど、着心地の良さって長い収録時にはとても大事。長く座ってて肌にしっとり、体にしっくり来るのが一番。で、ロジャースでは服だけじゃなく、食品もあるから、フードマーケットを見入ってしまう。ここで屋我地の塩を買ったり、美味しい直輸入のワインを買ったり、猪豚のパンチェッタや山羊肉、ギリシャチーズなんか買って1人で食べてると何処かよその国を旅してるような気分になったりね。食って大事だよね。


昔の写真 ロジャースでの食やファッションの出会いにワクワク

そんなこんなで、いつもプラザハウスには新しい発見やおしゃれや美味しい食にありつけるわけなんだけど、ある日、プラザハウスから食事のご招待をお受けしまして、いそいそとその紫ニットワンピを着て、出かけたんザマス。なぜかトニー谷口調、さいざんす。


化粧してないけど紫ニットは着心地良し

食事はなんと、プラザハウスにある月苑飯店!!私の大好物の純広東料理ときたではありませんか!しかもコースメニュー。そこに書かれた料理の数々に目がテン。奥の緩くカーブしたソファの席に腰掛けて、気分はウォン・カーワイ映画か、1950年代の在琉球香港人の気分。プラザハウスができた1954年のその当時からあるという月苑飯店の長い歴史を妄想反芻しながら、それにお似合いなシャンパンなんぞを開けながら、料理を堪能したわけなんですけど、ふとあることに気づいたわけです。


広東料理にはシャンパンが合う!
おシャンざんす


色々夢中で料理ショットがほぼないのも良い

ここ月苑飯店の料理は本当に美味しくて、長らく行けてない香港の味を思い出したのです。で、こうして日本で純広東料理を味わえるようになったのはいつくらいからなんだろうと。そして、いつの間にかにそのような純中国料理と呼ばれる名店が少なくなったのではないかと。ある時中華街に行ったら、聘珍楼本店はなくなっていてその衝撃にしばし呆然としたほどです。雲呑麺探偵に電話で聞いたら、いろいろ事情があるようで、日本にある名店と呼ばれる中国料理店の長い歴史、その存続に危機が訪れているのではないかと、ちょっと憂いたり。そうだ。私もコロナだなんだと全く外食をしなくなったせいもある。

ちょっと昔の横浜中華街の香港路


日本の中国料理の歴史は案外古く、大正のあたりからじゃないかと思われる。
神田のあたり。京都にもある。それはおそらく、科挙が廃止されたのちに日本の大学などで教育を受けたいと渡ってきた中国の留学生の多さじゃないかと思われる。戦争の背景もあるだろう。でも、そうして中国人は日本にやってきて、中国料理をあちこちで展開するようになってゆく。戦後、米軍が入ってくると東京の中心にも中国料理は出来ただろう。渋谷事件なんかまさにそれで、宇多川町を中心に中華街ができるはずだったなんて夢の様な話もきいたことがある、恋文横丁に今でも健在な麗郷、宇多川町にあった龍の髭などの点を結べばなるほどとピンとくる。そして、飯倉のあたりには楼外楼飯店や中国飯店別館などもあって、その先にアメリカンクラブハウスや大使館もあるので、中国料理が米軍と共に存在した時代というのもあるのではないかと。そう考えると、なんと、このプラザハウスの月苑飯店はまさにそれで、愛宕あたりにあった靴鞄服などを売るショッピング店のロジャースを移設するに、沖縄はコザが選ばれた。そしてそこに、プラザハウス初代の社長チャールズ・シー・ション氏が月苑飯店も作ったという流れも、なんだか納得なのである。


プラザハウスの昔の写真
こちらは以前食べた琉球広東料理というメニュー絶品でした


シャンパンのグラスを傾けながらそんなこんなの歴史を語り合い、今日本における中国料理はなぜ安易なものとして庶民に届いてしまったのであろうということにもたどり着く。中華街の食べ放題の看板の多さ。私の子供の頃などは、横浜中華街は暗くてちょっと怖いところで、家族4人で華正楼で食べる時などちょっと奮発した食事だったと思う。そして、のちに大人になった時でも聘珍楼ではおめかしして出かけたし、市ヶ谷の中国飯店は縁起の良いコジキ鳥を食べるために結納式で使わせてもらったほどだ。それが今や、富裕層以外は、ご馳走を食べるために中国料理店にわざわざ行かなくなった気がする。中国料理は安価で食べられるというイメージばかりが目立っていてそれが私には気に入らない。食やおしゃれにお金がかけられない、余裕がない時代は昔もそうだったと思う。ゆえに、大事に着て、大事に食べた。それが今では、安物を使い捨てし、安価なもので口を誤魔化す。それでいいというのならいい。でも、衣食は尊いのだ。口にいいものを含み、体に良いものを纏う。もちろん、私とて量販の下着だって部屋着だって着る。町中華にチャーハンと餃子を食べに行ったりもする。それに普段はいい加減な格好でいる時が多い。それがなぜか沖縄のコザ・ライカムにあるプラザハウスに来ると、ああたまには良い下着をつけないととか、このジャケットを着て外出するようにしないとな、とか思い、食も、たまには体にいいものをと食品コーナーで買ったり、人の家にお邪魔したり仕事でお世話になった際には、ここのワインや面白いお菓子と決めている。きっと、私が成長過程において、米軍から流れてきた輸入菓子が好きだったり、中国料理も香港に通う前から、家族でしゃっちょこばって中華街に行ってたからかもしれない。そんなわけで、ここプラザハウスに純広東料理月苑飯店があって本当によかった。私はここでオールドスクールなメニューを味わったり、新しい食に出会ったりできるのだ。

そうそう、日本における中国料理店というのは面白いメニューも古くからあったりする。チャプスイだのカーリーファンだのパーコー麺などがそれだ。アメリカ人がいかにも食べそうな不思議な中華のメニューがあって私はそれが案外好きだった。月苑飯店には、確かチョプスイもメニューにある。シンガポールビーフンもカリー味である。米軍人たちが食事にくることも多い場所からゆえのメニューだ。


月苑飯店の外観はとても映画的。ここで誰か撮らないかしら。
プラザハウス56周年記念でライブをやらせていただいた思い出も

そんなこんなを考えながらすっかり酔っ払い美味しい食事を堪能しまくったのでありました。それにしてもここは美味しい。まるで香港のダドルズにいるような気分にすらさせてくれる味で泣けてくる。ご招待いただいた平良由乃社長がいらしてご挨拶を受けたが、こんなに美味しいのになぜ支店を出さないのでしょうか?と伺ったら、料理人の確保だけで大変なんだそう。中国料理はまずは味。それを握る料理人の確保なんだね。うーん。納得。

なわけで、琉米文化を受け継いでいるプラザハウスにある外壁のオレンジタイルがウォン・カーワイ映画的で素敵な建物の月苑飯店。歴史ある純広東料理をぜひ今度はみんなで味わいたいものだね。そうそう。そんなプラザハウスは来年70周年だそうよ。記念にドキュメンタリー映画を誰か撮らないかしらね。そんでコザインターナショナル映画祭もあそこでやって、ファッションショウや食の祭典も、なんなら70周年の記念本も出版とかね。琉米文化を今に引き継ぐプラザハウス。文化発信はコザにあり!とかのらのら妄想するのでありました。
みんなもコザやプラザハウスの思い出あったら教えてね。

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