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洞口依子のら猫書簡


お元気ですか?

バンクーバーは相変わらずの冬景色です。

2022年になり、そろそろ旧暦の新年を迎える飾り付けが中華スーパーに陳列され始め賑やかです。こちらは移民が多いのですが中でも中華系は多いようで、至るとこで中国語入りのデザインのものを見かけます、中華系への目配せというか需要があるんだと思います。日系もいるんですけどねえってことで、先住民研究に行き詰まりを感じたので、最近は日系をちょびっと辿ってます。日系はその昔、1800年代くらいから来ている様ですよ、でもパールハーバー以降散り散りです。調べていくとわかるのですが、日系はとんでもない扱いを受けてきた様です。アメリカにいる日系にもそれは言える事なのですが、ここバンクーバーでも相当な扱いを受けた様です。財産、土地、全部没収、様々な差別、色々あった様です。日系がいた場所はだからほとんど残ってないと言います。そんな中、私が訪れたのがスティーブストンという漁師町で、もうアメリカがすぐそこみたいな、私のいるバンクーバーダウンタウンより南下した場所にある端っこです。そこに行けば、沖縄を少しは感じられるかなと思ったし、なんてったってあなたもご存知の通り無類の漁港好きな私ですので、そこに行けば気持ちが晴れると思ったのです、そう、そのくらいバンクーバーの冬は日照が少ない。太陽と魚の匂いと漁師たちの足跡を求めて、のらのら行きましたのが11月くらいでしょうか。覚えてないのですが、そこでみた昔の缶詰工場や日系の暮らしがわかる展示物などを通じて、日系が色々頑張ってきたことは感じられました。(そこは中華系移民もたくさんいた様です、みんな漁をして魚を加工するそんな暮らしです)

一時多い時は何千世帯もあったと言われるスティーブストンですが、そこから強制収容所に、はたまた日本へ帰国の途へと、散り散りに向かったかつての線路が虚しかったです。

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話が長くなりましたが、何をあなたに伝えたかったと言うと、小さな漁港で船を作り漁師たちは網を大事にし、漁に出ては、女子供たちはその留守を守りながら水産加工の仕事に追われていた日々を垣間見れるムラカミハウスという一軒の漁師の家がいまだに健在だったということに私はいたく感動を受けたということを伝えたかった。日系のもののほとんど全てと言って良いほどのものが奪われ失われたいった中、ムラカミハウスだけは残っていた。そしてその前の道も、川向こうの海へと続く風景もなんら変わってない気がしました。川辺にガマの穂があって、それを眺めていたら、因幡の白兎を思い出し、私は白兎だなあと思ったり。しばらくぼんやり思考をするでもなく、身体ごと放っておいたくらいです。

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日本人がどんぶらことここまでやってきて、漁業で生きて、戦争という悲しい出来事はあったけど、ここに残っているその暮らしの一遍。そこから、生きることの強さ、竹のようにしなやかで、丈夫な、そこに写真花嫁でやってきた女たち。日系移民の強さを肌身で感じられたということ、ここまできて本当によかったと思ったのです。そして私はスティーブストンが好きになり、公園の交差点で大声でここ好き!と言えたくらいです。それは宮古島の森や海が好きだということにも似た感情です。そして、その土地の名前に触れるたびに敏感になりました。

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そうしたら、なんと、面白い本に出会ったのです。スティーブストンの漁師たちが食べた日系食の本です。レシピが載っていて、ちょっと沖縄の『てぃーあんだ』を思い出しました。山本彩香さんの著書です。彼女は東京の父と沖縄出身の母の間に東京で生まれ、後に養子として辻にて育った人です。育ての母という人は辻の尾類だったとききます。ご存知でしょう?辻の廓の女たちつまり尾類は文化の担い手でもあったんですよね、琉球王朝から続く食事をもこさえることができる女たちだったと聞きます。そんな素晴らしいもてなしができたということはまさに文化の担い手であり、貴重なことだと思うのです。王朝からの食文化もそうですが、沖縄には米軍が運んだアメリカ食文化というものもあり、そのチャンプルーもありますよね。タコライス、ポーク玉子、チャプスイ、チョーメン、などに代表されるように、そんなアメリカと琉球のチャンプルー食文化。しかし、それもいまは段々と時代を経て変化せざるを得ないものとなって来ている気がします。だけど、それを誰かが次世代へ繋ごうと残していってるというのは実に面白い見聞だとも思うのです。スティーブストンの漁師たちが食べていた日本食と、山本彩香さんはじめとする尾類の食、アメリカと沖縄のチャンプルーが織りなす沖縄の食文化は似てないけど、重なる部分がある気がしました。

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朝餉というのは本当にそれこそ大事で、あまり一家揃って食べなくなりましたが、朝食にみる食文化というのも面白そうだなあと。そんなこんな、私は今日も1人寂しく朝餉を拵え箸を動かすのですが。

そうそう、スティーブストンにいるとアメリカはすぐ下なので、ここからSan Joseまでいけばあのスタインベックの小説の世界があるのかと夢見心地にもなります。そう、スタインベックの朝めしには、見事な朝餉の描写があります。

朝、東の空を眺めながらベーコンの脂をかけたビスケットをコーヒーで流し込む


そんな朝めしを食べてみたくなるほど。知らぬ人から朝めしをごちそうになり、朝の陽射しで背中があたたまってくるあの感じ。その情景。私はまだ16歳でした。その小説を教えてくれた人はもう鬼籍に入られていませんが、この本をそっと手渡してくれたこと、語り合った冬の情景がまるで昨日のように思えるのです。その人の当時の歳を私ははるかに上回りました。時は流れていますね。

いつか一緒に朝飯を食べたいですね。その際は島スタイルで、石嶺豆腐がいいですね。

まあ、そんなことを伝えたかったのです。

第3回目のブースター接種の副反応が思いのほか酷く39度の高熱にうなされやっと下がったので、朝餉に卵とベーコンを焼き、糠漬けと味噌汁と玄米の飯を1人かっこむ私です。

ではまた。

時節柄お体ご自愛なさってね。 

バンクーバーより愛を込めて 1・19  水曜日 10:44

依子

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