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天之手力男命(あめのたぢからおのみこと)様との対話

あんまりしんどくて、夜11時に家の近所の神社で神様と対話
(という名の独白)をしてました。

スピリチュアルを盲信するタイプでは無いですが、
人とは違うルールで存在するものというのは、多分あるんだろうな、私には感じられんけど。
程度には信じてます。

どうも、雪茜です。
実はnoteは、アカウント登録してから最初にこの記事をメモしてたんで、
自己紹介の記事とかはこの記事より後に書いてました笑

神社は悩み事で頭が破裂しそうになった時によく行きます。
別に行きつけがある訳ではなくて、その時に足が向いた神社へふらりと。
今回も、ただの夜散歩だった筈が、なんとなく神社行こー、と思ったのでぶらっと。

神様が今目の前にいる、と仮定して、独白をし始めると、
なんだか自分が思ってた以上に色々な悩みが口から出てきます。

で、目の前の神様はきっとこう言ってる、と思い込んで、返事も声に出していく。
要するに対話形式で自問自答ですな。

私は何故かこうすると、1人で部屋でウジウジ何日も悩んでた事が、
急に全然思いもよらない回答が思い浮かんできたりして、
自問自答の精度が上がる。

それが神様のおかげなのか、自己暗示の強さ(笑)の
おかげなのかは分かりませんが、こういうのを分からない、で済ますのは
一つの心のゆとりになるかなと思って、個人的には嫌いじゃないです。

てことで以下は対話の覚え書き。



寝てばっかりで、怠惰な自分が嫌い

怠惰は「やりたい事」を認識しているのに、それから逃げるのを怠惰という

寝たいから寝る
は怠惰ではない。

精神或いは体力的に消耗しているから、それを回復しようとしている働きから
「寝たい」が体現されているから。

それとは別に、「絵を描きたい」等と言っていながら
「でも準備とかめんどくさいし、ベッドが気持ちいいから寝ちゃおう」
というのは、「面倒」「逃避」となる為、怠惰となる。

やりたい事はあるが、寝るという行為も、やりたい事なのだ、と思っているの
なら、寝てもいい。
それは決して怠惰ではない。
必要な休息だ。

「やりたい事」が漫画を読むだったり、ゲームする、は、やっぱり悪い事?
「やりたい」と思うからには、そこに何かの学びがある。
漫画もゲームも心を耕すのに一役買う。
怠惰と言う人もいるかもしれないが、自分が読みたい、やりたい、と思うので
あれば、それは心を耕したい、と思っているということ。
誰かに迷惑をかけないのであれば、それは悪いことでは無い。

耕されなければ、心は荒廃するばかり。
耕した心にこそ、芽が出て、花が咲く。
花のない人生はつまらない。
たくさん花を咲かせる為に、たくさん心を耕すのだ。


顔が醜い。自分の顔が嫌い。
心が顔に出ている気がする。

では、自分の周りで好きな顔の人は誰か?
その人の心が、その人の顔に出ているとやはり思うのであれば、今の悩みを
その人に打ち明けて、アドバイスを貰ってみてはどうか。

或いは、そこまで親しく無いのであれば、ただ一緒に食事する、飲みにいく、と
いう行為だけでも、その人の気配に触れる事によって、元気を分けてもらうことができるのではないか。

あれもやりたい、これもやりたい
或いは
あれをやるのがいいのか、これをやるのが良いのか分からない
そんな時は、あれもこれもやる。
全部やる。
それでいい。
欲張っていい。

欲張る事は悪じゃない。
欲と付いているけど、その欲は制限しなくていい。
その欲まで否定して、潰してしまうと、「苦しい」道しか残らない。
苦しみしかない世界、それを地獄という。

神様は人間を、天国でも地獄でもない、現世に遣わした。
苦しいだけの道を行かせたいなら、地獄に堕とせばいいのだ。
それを、あえて、現世に遣わした。
ここは地獄ではない。
欲があっていいのだ。

ただしその欲を叶えようと頑張る道のりに、障害や、試練がある。
それらからは決して逃げようとするな。
欲がある現世に遣わしたのは、それら(障害や試練)を耐え忍び、
乗り越えていく為なのだから。

欲張っていい。
あれもこれもやりたいのなら、あれもこれもやってみなさい。


自ら死を選ぶのはダメな事?
死にたいほど辛い。
死ぬ方が生きるより楽。
生きる意味がわからない。
生きている分だけ誰かに迷惑が掛かるから、死んだ方がマシ。
そう思うことも多いだろう。

「自分より不幸な人が世界には大勢いる」
そんな事は頭で理解している。
でも下を見たって、自分の苦痛は和らがない。
他人の苦痛は自分の苦痛を和らげない。

しかしそれでも死を選んではならない。

死んだ方がマシ。
死んだ方が楽。
そう思う傍らで、
自分より辛い人は大勢いる。
と思うのなら。

死んで生まれ変わった先で、「自分より辛い人は大勢いる」の「大勢」に
自分がならないと、何故思うのか。
死んだら今より楽と、何故思うのか。
「大勢」だぞ?そちらに生まれ変わる確率の方が高い。

自ら死を選んではならない。
それは自らを「より辛い人生」に移行する行為。

確かに今世は楽に終わるだろう。
しかしその分、来世の自分は、もっと辛い。
どんどん「辛い」のスパイラルに堕ちていく。
長い生命の歴史の中で、肉体を捨て、魂がより辛い方へ逃げていくことになる。

それでも「そんなの知らん。今の記憶は来世は持ってないし、
そうなれば他人も同然。今辛いのをなんとかするのが最重要。」
となるのだろう。

前世の自分も、恐らくそう思っていたのだろう。
前世の自分の行為による結果が、今の自分の苦痛なのだから。
輪廻とは、そういうものだ。
どこかのタイミングで、より辛いを「選ばない」道を歩ききらなければ。

生ききらなければ。

与えられた「生」の中で、「ダメな事」は何もない。
ただただ行った責任が自分に還るだけ。
「責任は自分で取るから別に良い!」
というのであれば、勿論その道をゆくことを強く止めはしない。

ただ見守る立場からすると、その道はお勧めしないというだけ。

今より辛い道を勧める神はいないのだから。




ここからは個人的な相談。

仕事について
仕事は好き。
でも人間関係が辛い。
2ヶ月も休んで、復職したって無期雇用の道はきっと無い。
それなら転職した方がいい。

「きっと無い」は断定では無い以上、自分で勝手に決め込まないように。
悩むなら、休職を伸ばすこと。
心が決まるなら、伸ばさずすぐに辞めてもいい。
半年休んで、辞めたいと思うなら辞めればいいし、仕事が好きだから、3年しか
いられないけど続けたいと思うなら3年だけ続ければいい。
勤務態度次第で、もしかしたらその3年のうちに「きっと無い」は無効になる
かもしれない。
所長は勿論、課長も移動するかもしれないのだから。

家のこと
話したく無い。
心が泡立って、膨れては消えて、あわあわなって、言葉が正しく紡げないから。
糾弾されて、苦しくて、悲しくて、意識がまとまらないから。
でも黙って見守っててほしい。
我儘だけど、それが本心。
神託を降す助力を得る。
心苦しいけど、頼る事にする。

隷属か、好きなことか
会社の勤め人か、フリーランスか、どちらが自分の本質に合うのか判らない。
そもそも何が好きなのか判らない。
本を読んでも、話がいっぱいあって判らない。

やりたい事を全てやってみる。
やりたいことの中に好きなことがある。
まだ出会っていないかもしれないし、既に出会っていて、これは自分が好きなことかも?と悩んでいるかもしれない。
どうせどちらか判らないなら、やりたい事は全部やりなさい。

取り敢えず明日は絵を描く。
アクリルで絵を描く。
雨模様なので、雨の絵を描くと約束した。
どこかのタイミングで隷属が向いていると判ったなら、半年の休職後にまた
転職活動をしなさい。

お金について
隷属にしてもフリーランスにしても、金銭的不安がある。
どちらを選ぶか悩んでいるのだから、そこまで今は考えない。
まずは目の前にある休職の給付金の手続きをきちんとしなさい。

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