【短編読みもの】ドロップサファイア
簡単なわけ無いと、解ってた。
ざぶざぶと蛇口から水が流れ出る。
筆の先端についた、用途を終えた悲しい色が水に溶かされて薄くなっていく。
ーなんでこんな、悲しい色使っちゃったんだろ。
乱暴に筆先を扱きながら独りごちる。
周囲にはすでに人気が無く、もう暫くすれば下校を知らせる音楽がスピーカーから流れてくる時刻だ。
グラウンドにはまだ運動部が片付けをしに残っているようで、遠い話し声が校庭の広い空気を響かせている。
蛇口の栓を捻り、洗い終えた筆を雑巾で拭く。
背後には、たった今描き終えたキャンバス。振り返りたくない。
昨日届いた「不合格」の通知。
今日の授業はまるで頭に入ってこなかった。
やっとの事で放課後になって、気がつけば入試の時に描いた絵を復元するかの様に書き殴っていた。
ーなんでもっと上手に描けなかったんだろ。
涙が浮かんでくる。
周りには誰もいない。いっそ泣いてしまおうか。大声をあげて、みっともなく、子供のように。
噛み締めた唇から血の味が滲んだ。
陽が落ちて、暮れなずむ空が急速に藍色に支配されていく。
スピーカーから下校時刻を知らせる曲が流れ出す。
ー帰らなきゃ。
制服の袖で慌てて涙を拭うと、パレットと筆洗いを流しに移す。
パレットに残った、とりどりの色。
そっと、指先ですくってみる。柔らかい。
私の絵の道は、これで、おしまい。
筆洗いの中にポトリと落としたアオは、ゆらめく水底にきらきらと光って、高価な宝石のように見えた。