もうすぐ あの日
実家を離れていた私以外は
みな 被災しました
自分だけ被災しなかったことが
未だに罪悪感のように残っています
とにかく 両親や兄弟姉妹に
彼の地に なんでもいいから何かしたかった
そんな 焦りのような気持ちと
ボランティアや慰問など
様々な機会があったにも関わらず
なぜか私は 入れてもらえず
全くの部外者扱いだったことが
罪悪感や焦燥感に拍車をかけてしまいます
少しは
曼荼羅さんやパステルアートを描いて送ったりしたものの
友人や地域の人達のために何かした という気持ちには全くなれず
釈然としない気持ちをずっと抱えたまま
あれから9年
罪悪感から何かしたければ
罪悪感から何かしてもらう ことが起きて
助けたければ 助けが必要なことが起きて
励ましたければ 励ましが必要なことが起きて
困っている人に これだけやったんだから 感謝されて当然 なら
困ってるから これだけやってもらうのは 当たり前 で
それって
本当にその人のためなのか と 怒りにも似た気持ちを感じ
とある相手の出来事を後に聞き
わたしの罪悪感のもとである
「どうしてわたしだけ」
を相手も体験していた
ということに気づき 重苦しい気持ちになって
結局
罪悪感からの行動は
罪悪感しか共有できないし
まわりまわって
罪悪感しか返ってこないのだ とわかったのです
じゃあ
本当に人のためになることって何?
どうすればいいの?
…ということについて
深く深く考える機会が訪れることになるのですが
それはまた改めることにします
<もうひとりの もわ・めーむさんの声>
読んでいただき ありがとうございます(^^)
実は この曼荼羅さんの写真を見て以来
いろいろと悶々とし続けています
実家を離れていた私だけが被災しなかったことに罪悪感を感じ
被災地や被災者の話を聞くにつけ
ますます焦燥感や怒りが強くなっていったことを思い出します
悶々とした気持ちと付き合っていたら
心の棚卸し
って言葉が ふと 降りてきました
今回の曼荼羅さん
被災地でのイベントに と 送ったもので
もう手元には ありません
わたしの心持ちのために
曼荼羅さんにかわいそうなことをしてしまったかもな
…なんて 悲しい気持ちになってしまいます
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