大切な人を失った悲しみは、愛情に比例する
大好きな母の命日が近づいてきた。
あの日から、2年が経とうとしている。
2年。たった2年。やっと2年。もう2年。
どの言葉もいまいちピンと来ない。
悲しい、寂しい。そんな言葉も違う。
これまたこれもピンと来ない。辛くて、痛い。こんな感じ。
母のいない毎日が当たり前になった。
それでも、私の人生の中で母のいない時間よりも、母がいた時間はまだまだ長くて大きい。
母の私の名前を呼ぶ声も、今はまだ耳の奥にかすかに残っている。目を細めて大きな口を開けて笑う顔も、しっかり焼き付いている。
だけど、母の今にも消えそうな呼吸の音、ナースコール、消毒の匂い、病室の匂い、母の冷たい頬の感触の方が、今は一番に思い出す。
楽しい思い出より先に、「しんどい。抗がん剤やめていいかな」という泣きそうに笑う母を思い出す。
大きくて大好きだった母の目より、人生の終わりを見ているような目を思い出す。
そして、あの時の私の返事は母を苦しめていなかっただろうか、という自責の念。
いつだって、あの言葉のあの返事は正しかったのか、何度も繰り返す。
何度繰り返しても、結末はきっと変わらない。
でも、そうやって胸が締め付けられるたび、辛い日々を思い出すたびに、母を感じられることができる。まるで、リストカットだ。
きっと本人は楽になったと思う。思いたい。
病気で思うように動かなくなった体を手放し、身軽になって、ホッとしているはずだ。
母を看取って2年、常々思うのは、「死は遺される家族や大切な人たちにとってとてつもなく大きなこと」なんだということ。葬式だって、故人のためではなく、遺された家族にとって区切りのために必要な儀式なんだと痛感した。
しっかりその儀式を終えたのにも関わらず、変えられない事実を受け入れるには、2年はまだ日が浅すぎる。
お母さん。
もう「お母さん!」と呼びかける体がこの世にないということが、どれほど悲しいことなのかを理解したのはここ最近だよ。
お母さん。お母さん。お母さん。
いつだって私はお母さんに話しかけているけど、いつになったら返事が聞けるのかな。私がそっちに行くまで待っててくれるのかな。もうその頃にはお母さんは新しい人生を始めているのかな。
最近お葬式の時に、どうして手紙をお母さんに持たせなかったのかと、とても後悔している。
伝わったと実感できる最後のチャンスは、お葬式の時だったんじゃないかと今になって思うから。
今だって常に呼びかけて、話しかけるけど、伝わっているという実感はまるでない。私の呼びかけはいつも宙ぶらりんだ。虚しい。
お母さん。
見えている?私たちが見えているのかな。
私、とっても寂しいです。
お母さんに会えなくなったあの日から、時間が経つことがとても寂しく、あの日にお母さんを置いてきてしまって、私だけ遠いところに来てしまったような不安が日が経つごとに大きくなるよ。
私が死んだら、お母さんに会えるとわかっていれば時間が経つのもこんなに不安じゃないんだと思う。だから、教えて欲しい。会いに来て、教えて欲しい。
時間が経てば悲しさは和らぎ、穏やかに過ごせるもんだと思っていたけど、どうやら違うらしい。
時間が経つと、悲しさや寂しさの波に飲み込まれないように耐える方法を知るだけで、全く和らぐことも小さくなることもないね。
あの日から悲しさも寂しさも、1ミリも変わらない。きっと私のお母さんへの愛が変わらない限り、ずっとその大きさは変わらないんだと気づいたら、腑に落ちたと同時に、絶望した。
この絶望と、どう向き合おうか。どう付き合おうか。まだわからない。
いつか、この絶望を受け入れて飼い慣らすことができるのだろうか。