画像生成AIから考えるイラストレーターの真価という話
はじめに
こんにちわ。
株式会社BookBaseのオタクペンギン(社長)です。
8月に入ってから、コンテンツ業界を賑やかしている話題の一つである『Midjourney(ミッドジャーニー)』。
こちらは画像やイラストを自動的にAIが書いてくれるソフトでして、以前からAIが書いた絵というのはちょくちょく話題になっていました。
が、精度が怪しく不気味なものが多かったので、AIに芸術は生み出せないという考えが基本だったわけです。しかし、Midjourneyの登場でその成長ぶりに驚かれることになりました。
まだ知らないっていう方は、ぜひぜひググって見てもらえるとなかなか感動すると思います。
絵画っぽいものはもちろん、ついに二次絵のほうにまで適応するようになっているようで、なかなかおもしろいことになっています。
さて、ここからは本題です。
以前からAIの発達により、人の仕事が奪われるというのは言われてきたわけですが、Midjourneyの出現でイラストレーターの方々はリアルに危機を感じているのではないかと思います。
実際、未だ発展途上の段階でここまでのイラストを出力できるとなると10年後は相当な精度になっていると思います。
そうなると、今のイラストレーターさんたちの存在意義はないのか?というと、すべてがすべてそうではないだろうなと思います。僕は特に小説の表紙などを発注する側でもあるので、このあたりについては実用的な意味を考えてもそうだろうと思います。
画像生成AIが出現したからこそ、イラストレーターの価値はさらに洗練される。その理由を書いてみようかなと思います。
画像生成AIの使いづらさ
まずは表面的な話からですが、画像生成AIについてビジネスで利用する上でいくつか使いづらいと感じる部分があります。
①著作権の不透明さ
これはすでにいろんなところで言われている話なので、ここで言うまでもないですが、著作権についてです。
Midjourneyの現在の規約では、著作権は画像生成者にあると明記されていますが、これが日本の法律上ものすごく微妙です。
Midjourneyで生成されている画像は、全くゼロから生み出されたものではなく、何万枚何億枚とネットに公開されている画像をAIが学習し、それを元に出力されたものです。
この方法で考えたときに、出力された画像は誰のものなのかというとなかなか微妙なラインです。
また、Midjourneyの規約では著作権は生成者にありますが、Midjourney運営により公開することを許容されていたりと、生成者にコントロールできない部分があったりします。これも不確定な要素と言えますね。
②規約が変わる可能性
これも権利に付随したものにはなりますが、Midjourneyの規約が急に変更されることもビジネスで使う上では不確定な要素と言えます。
現状は、商用でも有料プランに入っていれば使用できますが、明日突然画像の使用を限定化されたりという可能性も大いにありえますし、利用者は基本的に運営の方針に従う以外の選択肢がないという主従の関係にあります。
これは他人の作ったものを使う上で発生する当然のリスクではありますが、ビジネスで使うのであれば、考えて然るべきだと思います。
③使い手によって生成されるものが変わる。
これは権利というよりは実用的な部分ですが、根本的にAIは創造性を持っていません。あくまでも画像生成AIにより代替されるのは、『絵を描く』という工程であって、創造性ではないというところに根本的な落とし穴があると思います。
言ってしまえば、画像生成AIを使ってもセンスがない人が出力する画像はナンセンスという話ですね。
という感じで、思っているよりもビジネスで使う上では使いづらいところがあるというのが、現状の僕の見方です。こんな危険性を孕んだものを使うよりもちゃんとイラストレーターさんにお金を払って、契約結んでやるほうが確実だよねというのがまともな企業が考えることではないかと思います。
そして、この上であげた③については、もっと根深いものが潜んでいると思っています。
そこを深堀りしていきましょう。
イラストは『なんとなく格好良い/可愛い』では、価値がない。
ちょうど僕自身が小説の表紙や広告用のイラストなどをディレクションする側だからこそなんですが、ただ格好良いやただ可愛いだけの画像って実はそんなに意味がないんですよね。
例えば、小説の表紙をデザインするとき。
小説に出てくるキャラクターを描いて、ロゴを乗せる。
やることはただこれだけなんですが、実際にはしっかり人を魅せることができる表紙とそうではない表紙というのがあるんですよね。
例として、弊社で出版している表紙絵をお見せします。
こちら、第一回小説下剋上コンテストで最優秀賞を取った作品『崩壊世界のアノミーは心の在り処を示せるか』(著者:しろいるか)の表紙イラストです。イラストレーターさんは旅行さんですね。
こちらの表紙。
ディレクションをするときに考えていることとしては
①小説の世界観をどう表現するのか
②全体の配置やイラストに出すキャラクターを誰にするか
③各キャラクターのイメージやコンセプトをどうするか
などなど…
この一枚を創るだけでも、結構考えないといけないことってたくさんあるんですよね。
特に小説の表紙イラストは作中内のキャラクターイメージと合わせる必要があります。
ただ設定上の髪色やシルエットを反映するだけではなく、キャラクターの表情や関係性にまで踏み込んで理解し、それをイラストに反映する。
小説という文脈があるからこそ、生まれるキャラクターやイメージというのが小説イラストの面白いところです。
ただ、小説内の1シーンを取ってくれば正解ということもなく、作品の売り出し方などによっても変わります。
そして、これにロゴを乗せるとなるとさらに変わります。
ロゴありがこちらです。
ちなみにこのロゴについては、10回くらいはリテイクしています。
ぶっちゃけ、小説表紙において重要なのはロゴと言ってもいいくらいロゴは重要な役割を果たします。
このロゴも、それ自体に作品の世界観に沿うものを作らないといけないですし、さらにそれをイラストを潰さないようにデザインする必要があります。
基本的に、ロゴはキャラと被せないようにしたほうがいいなどのセオリーはありますが、載せたほうが良いときもあるので、これはセンスが問われるところですし、イラストも含め『この作品を読者に届けるために、浮かび上がらせるメッセージやコンセプトはなにか』というところまで編集者が理解していなければ、良い表紙は出来上がりません。
ちなみにこれ以外にも、BookBaseで出した作品がありますので、ぜひぜひ見比べてください。
こちらのプレスリリースに、まとまってます。
イラストレーターが目指すべき能力とは
さて、ここまででただ画像やイラストだけがあっても、それがそのまま広告や表紙に使えるわけではないというのがわかったと思いますが、ここからさらに踏み込んで、イラストレーターさんたちがどうしていくべきかという話に踏み込んでいきたいと思います。
まず、これから先、画像生成AIが発達していく未来は間違いなく来ます。
それによって、SNSなどで上手い絵などもたくさん出てくるわけですが、AIによって生み出されるイラストに人が熱狂するかというと、そんなことはないです。
基本的に、誰にでも生み出すことができるようになれば、それに価値はなくなります。特に利便性や機能性が求められるものは大概そうです。
伝統工芸などが工業製品に置き換わっていった歴史を見てもそれは明らかです。
じゃあ、これがイラストなどの芸術の分野でもそうかというと、それは違います。
これから先、イラストはそのイラスト単体の上手さで魅せるのではなく、『誰が描いたのか』『どんな意図で描かれたのか』など、『そのイラストにどんな文脈が潜んでいるのか』に人は価値を見出すことになります。
まぁ今でもそうなんですけどね。
わかりやすい例として、AIの脅威と戦い続けている先駆者的な業界が実はありまして。
それが『将棋』です。
将棋は、AIとの相性の良さなどから『電脳戦』と称して、プロ棋士とAIが戦うなどが行われています。
すでにほとんどの場合において、AIが勝つようになっているほどAIの学習が進んでいるようですが、じゃあ人がAIの指す将棋に熱狂できるのかというとそうではないと思います。
むしろ、強大なAIにプロ棋士が勝てば、そこに生まれるストーリーにこそ人は熱狂します。
こういった事例を見ていても、人はモノそのものにだけ価値を見出しているわけではないというのがわかると思います。
そして、これはイラストの世界でも同じことが起こることになるはずです。
将棋において、棋風と呼ばれるものがある通り、イラストや小説などにも作風というものがあります。
AIはこれからきっとどんなイラストでも描けるようになるます。
ですが、どんなものも描けるというのは、なにも描けないというのと同じです。
イラストを描くときに、あらゆる苦悩があると思います。
その苦悩が文脈となって、価値へとなります。
これはAIには、造れないものです。
まとめ
そろそろ文字数が4000超えそうなので、まとめに入りましょう。🐧なげぇよ
まぁここまで読んでもらえば分かる通り、画像生成AIが発達してもそれですべてが代替できるほど甘くないというのがコンテンツの世界という話です。
小説の表紙一つとっても、総合的なデザイン力や文脈を理解する能力があってこそ、人の心に刺さるものとなります。
そして、むしろ画像生成AIが発達すればするほど『ただ上手いだけのイラスト』は価値を下げ、作風のある『不思議と惹かれるイラスト』のような不可解なものにこそ価値が出たり、『この人が書いてる』というところに価値が洗練されていくことになります。
これは小説などでも全く同じですね。
すでにありますが、そのうち脚本などもAIによって生み出される世界が来ます。そうなったときでも、目指すべきところは変わりません。
万能はAIがやってくれる。
ならば、人は『これしかできない』を大事にすればいいと思います。
それが価値になるのが、コンテンツであり、芸術ではないかと僕は思います。
では、今日はこんなところで。
ご拝読感謝です。
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