PTSDーアメリカン・スナイパーを射殺した元海軍兵
PTSDに苦しむ帰還兵をサポートする伝説のスナイパー
クリント・イーストウッド監督の映画『アメリカン・スナイパー』を覚えていますか? イラク戦争に4度にわたって遠征、アメリカ軍史上最多160人以上を射殺した、”ラマディの悪魔”と恐れられた実在するスナイパー、クリス・カイルの実話をもとにした映画です。
たくさんの勲章を得たクリスですが、”仲間を守るために敵を殺しまくるという残酷な戦場”と、”妻と子との幸せな家庭”の狭間で、精神が少しずつ崩壊していきます。本人はインタビューの中で、「殺した敵のことは(悪い人だから)気にしていない。もっと自分が殺せていれば、仲間を救えたかもしれない」と、救えなかった仲間に対して、自責の念を抱いていたようでした。ひどい発言にも聞こえますが、原爆投下の任務に当たった退役軍人も、広島を訪ねたドキュメンタリーでも同じような発言をしていました。そのような信念のもと、戦ったわけなので、この前提はひっくり返すことができないのかもしれないとも思います。そのように考えると、クリスが敵を殺めたことに対して、罪悪感を感じていなかったかどうかについて、実は本人にもわからないことかもしれません。
戦地派遣を重ねるたびに心身共に病んでいったクリスは、本来は安らぎであった家族との関係もぎこちなくなっていきます。除隊する頃には体のあちこちの故障や原因不明の高血圧等に悩まされるようになったといいます。
除隊後のクリスは、軍事訓練を行う民間軍事会社”クラフト・インターナショナル社”を立ち上げます。また、2012年1月には、戦闘体験を綴った回想録『American Sniper: The Autobiography of the Most Lethal Sniper in U.S. Military History』を出版し、これがベストセラーになりました。
書籍にも綴られている、クリス自身が苦しんだPTSDですが、帰還兵の多くがPTSDなどにより社会復帰できずにいました。そこでクリスは、事業や書籍から得た資金の一部を元に、PTSDに悩む帰還兵や退役兵をサポートするNPO団体”FITCO Cares Foundation”を設立し、サポートを行っていました。
アメリカン・スナイパーを射殺したエディ・レイ・ルース
伝説のスナイパー、クリス・カイルは、テキサン(テキサス州民)です。そして、その伝説のスナイパーを射殺した元海軍兵のエディ・レイ・ルースもまた、テキサンです。彼らにはテキサンであることを含め、5つの共通点があります。入隊前の共通点として、どちらかといえば、厳しい教育の家庭で育ったこと(クリスの父親は教会関係、エディの母親は教育関係)、幼い頃から、父親に銃の手ほどきを受け、ハンティングを楽しんでいたことがあります。
教会関係者や教師というと、銃とは遠い存在をイメージするかもしれませんが、テキサスでは、銃を持つということがごく普通のこと。友人が集まった場で、銃の話になり、意外にもその場にいたほぼ全員が1丁以上の銃を持っていることがわかり、驚いたことがあります。唯一、私と同じバックグランド(大人になるまで、アジアで育った)を持つ友人の方を見ると、彼女は「使い方ぐらいは知ってるよ」と。ハンティングも、私は行ったことがありませんが、日本に比べたら、そんなにレアな趣味でもありません。ですから、この”小さい頃から銃が扱え、ハンティングを楽しんでいた”は、彼らの”共通点”と言っても、テキサスあるあるの範囲と言えるかもしれません。
そして、4つ目は戦場に派遣された経験であり、そのことが原因で発症したPTSDが5つ目・・・エディもまた、PTSDに苦しんでいた退役軍人でした。
退役後、頻繁にパニックに襲われたエディは、薬物と酒に溺れる自堕落な生活の中、自殺未遂を繰り返しました。夜中に、ちょっとした物音で飛び起きては、母親の部屋に安否確認に行ったり、母親の手を握り、泣きながら眠りについた夜もあったほど、生きていることに困難があったそうです。病院でしばらく様子を見てもらえないかと医者に掛け合った母親でしたが、引き受けてもらえず、自宅安静を勧められてしまいます。
そんな母親が藁をも掴む思いで連絡を取ったのが、支援活動を行っているというクリス・カイルでした。クリスは支援を快く承諾し、それを聞いたエディも喜んでいたといいます。とはいえ、自ら経験者でもあったクリスは、エディが自分にすぐにには心を開くことはないことを知っていたようです。そこでクリスは最初にエディと会う場所を提案します。
「釣りでもハンティングでも連れていってあげますよ。それとも射撃場にしますか?」
戦場で心を傷を負った退役軍人に射撃場に誘うことは、少し驚きです。クリスによると、長年の経験から、PTSDに悩む退役軍人らは射撃をする事で少しずつ心を開き、いろいろな話をし始めるという傾向にあるそうです。直接関係あるかわかりませんが、クリス自身、仮想現実による戦闘の追体験がPTSD治療に役立つかどうかの実験を受けたことがあります。この時に、奇妙な反応が見られ、戦闘体験中は血圧と心拍数が下がり、戦闘が終了すると心拍数が上がったといいます。
2013年2月2日、クリスは友人と共にエディを連れて射撃場へ向かいます。この日、朝から飲酒していたというエディの様子は、支援者クリスの目にも「こいつはヤバイ」と映ったようです。射撃場へ向かう途中、エディの状態が正常でないことを、クリスと友人は、メッセージアプリで会話していました。2人の会話は、裁判時に、エディが心身が喪失していた証拠として使われるほどの内容だったようです。射撃場に着いた3人ですが、ここで事件が起きてしまいます。エディが(背後)至近距離から2人を射殺してしまったのです。エディはクリスの車でその場から逃走を図りますが、警察に掴まりました。
裁判ではPTSDを理由に、エディの弁護士は無罪を主張しますが、逃走を図ったことが”自体を把握できていた(心神喪失ではなかった)”とされ有罪、終身刑になりました。エディの父親は、遺族への謝罪を伝える際に、エディが死刑を望んでいると明かしたと言われています。敵に”悪魔”と言われ、懸賞金を懸けられたほどのスナイパーが、自ら救おうとした仲間の手で命を奪われてしまったたということに、いろいろなことを考えさせられてしまいます。
今回はPTSDに焦点を当てたいと思いますので、戦争そのものの是非、兵士としての評価等には触れません。
エディ・レイ・ルースの壮絶な半生
エディが兵士を志願するきっかけになったのは、アメリカ同時多発テロだといいます。この頃のエディは家族仲もよく、愛国心ある幼い我が子に両親はとても喜んだそうです。思春期になるにつれ、教育熱心だった親との折り合いが悪くなったエディは、高校生になると、不良グループに入ってしまいます。姉と2人、窮屈な家を出て、近所の叔父の家に居候していましたが、叔父が亡くなったこととをきっかけに、自宅に戻ります。高校を卒業と同時に海軍に入隊、軍の兵器係に配属された時には、母親が大変喜び、家族の関係性は戻ったようでした。
2007年、イラクへと派遣されエディは、戦場で衝撃的なさまざまな体験をします。捕虜収容所で人間扱いされない捕虜たちの過酷な生活や、銃を発砲する子どもに心を痛めたといいます。2年後、テキサス州へと帰ってきたエディですが、イラクでの経験は、頑なに誰も話さなかったといいます。そんなエディの異変に、家族が最初に気がついたのは、姉の結婚式の時。隣人の放った釘打ち銃の音に反応し、地面に這いつくばった状態になったエディは、周囲に向かい「伏せろ!」とわめき散らしたそうです。別人になったエディに家族は戸惑いを感じたと言います。
しかし、翌年、エディは、地震後の人道支援活動として、ハイチに派遣されます。そこでエディが任された仕事は、山のように積まれた犠牲者の遺体をトラックの荷台に積み、運び続けることでした。多くの犠牲者を目の当たりにし、エディの心はさらに傷ついていったと考えられています。そのような中、エディが後々まで悔やむことになる出来事が起こります。お腹を空かせた地元の少年に食べ物を求められたものの、軍の規則により、携帯用の軍用食を分けて与えることは禁止されており、彼は少年に食糧を分けてあげることができませんでした。後に、彼はこの時の出来事を、「僕は強かった。だから、子どもに食べ物をあげなかった」というような言葉で、母親に繰り返し話したようです。
同年6月、軍を除隊したエディは、軍隊時代の友人の紹介により、軍の武器を修理する仕事をすることになります。ところが、職場のあるニュージャージー州へ向かったフライト中、彼はパニック発作に襲われ、結局、地元であるテキサス州に戻ることに。以降、頻繁にパニックに襲われたエディは、薬物と酒に頼る生活を始めることになります。自己破壊的な行動をとるのも、PTSDの症状の1つと言われています。両親は、変わり果てた息子の心の傷を癒そうと奮闘しましたが、症状はどんどん悪くなる一方でした。こうして事件につながっていきます。
アメリカの退役軍人
アメリカでは、現役・退役軍人にさまざまな場面で敬意を表し、就職、奨学金、ローン等での優遇も行われているようです。
子どもが所属していたスポーツチームの大会では、まずアメリカ国歌が流れますが、その後、退役軍人に起立をお願いするアナウンスがあり、会場中が彼らに拍手を送ります。ちなみに、大会は、軍とは全く関係ないものです。
感謝と尊敬の念で迎えられることの多いアメリカの退役軍人ですが、心のケアという点では、クリス・カイルが言うように、”社会は彼らの心の傷に無関心”かもしれません。それは単純に”知らないから””わからないから”ということからのように思います。それだけに、クリスが講演活動を行ったり、書籍を出版したことは、大きな意味があったことではないかと思います。
友人の旦那さんは、地雷で足を失い、義足を使っています。「夜中に、『足が痒い!掻いてくれ!』って言うことがあるのよ。仕方ないから、義足を掻いてあげると、治るのよね。おもしろいでしょ?」と、奥さんが話していたことがありました。義足をつけていない時に、失った脚の部分が痛むこともあったそうです。彼の友人で、やはり地雷で片足を失った人は、傷口を常に消毒していても、先端の部分が腐ってしまい、これまでに100回以上の手術を繰り返していて、その度に自分の足が短くなっているそうです。私が夫妻に出会った時には、すでに事故から何年も立っていて、以前やっていたスポーツを、再開した後でした。義足のことをジョークを交えて話してくれるご夫妻ですが、そこに至るまでには、大変なご苦労もあったように思います。
クリスの”治療法”は正しかったのか?
事件があった2013年から約10年。現在も、PTSDは現在も治療のための研究が進められている分野かと思います。ガイドラインも度々改定されてきているようです。クリスが行った戦争で発症したPTSDの治療のきっかけとして銃射撃場に行くという方法は、現在の標準治療と照らし合わせて、果たして正しいものだったのでしょうか? PTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療法 からの引用です。
心理療法によるPTSD治療: 意外に思われる人も多いようですが、出来事を消化するためには、トラウマ体験をなかったこととして意識に上らないように抑えつけるのではなく、実際に起きてしまったこととして受け入れ、自分からその話ができるようになることが回復への大きな一歩となります。 心理療法では、通常は断片化されているトラウマ体験時の記憶をつなぎあわせて記憶を再構築したり、原体験と似た状況を人為的に作り出してトラウマを再体験するなどの手段を使います。意識から払いのけたい衝動が生じるトラウマ体験を直視できるように手助けすることで現実と向き合い、出来事が消化できるまで治療を続けます。またカウンセリングなどを通じて、不合理なほど強くなってしまった自責の念など、PTSDで生じやすい誤った考えの矯正も行います。
”原体験と似た状況を人為的に作り出してトラウマを再体験するなどの手段を使います”とありますから、現在の治療法から見ても、方法論として間違いではなかったように思います。ただし、実弾の入った銃をエディが持っていたとことで殺人につながってしまったことを考えると、バーチャルな環境で、追体験ができた方がよかったのでしょう。
そして、この引用で気になったのが次の一文です。
”トラウマ体験をなかったこととして意識に上らないように抑えつけるのではなく・・・”。
災害時のメンタルヘルスについて、学んだことがありますが、その原則にも同じようなことがありました。私は医師では余りませんので、あくまで医師や支援者から学んだ話です。
例えば、津波被害にあったお子さんが、震災後に積木などを使って、”津波ごっこ”や”地震ごっこ”を始めることがあるそうです。このような風景を見ると、子どもの精神状態について心配になるのが普通ですが、これは、子ども自身が”ごっこ遊び”という追体験を通して、起きてしまった出来事を消化しようとしている過程なのだといいます。不謹慎と否定することなく、温かく見守ることが子どもの心の回復につながるといいます。
「”原因物”を取り除けば、治る」というのは、ある意味、トラウマ体験をなかったことにすることかと思います。それは本当にPTSDの治療法なのでしょうか?
実際、クリスやエディをはじめとする退役軍人は、PTSDの生じた戦場からは遠いアメリカに戻って、ごく普通の日常を送っていました。それでも、心の傷は癒されるどころか、深刻になっていきました。”原因物”を取り除けば、治るというなら、クリスもエディもPTSDに苦しむことはなかったでしょうし、この悲しい事件も起きなかったはずです。
ひとり言
ちなみに、アメリカのトップクラスの病院、メイヨークリニックによる、PTSDの診断には、下記のように記されていました。
診断 心的外傷後ストレス障害(PTSD)を診断するために、医師は以下のことを行うと思われます。 ・身体検査を行い、症状の原因となる医学的な問題がないかどうかを調べます。
・あなたの兆候や症状、その原因となった出来事についての話し合いを含む心理学的評価を行う。
・米国精神医学会発行の「精神疾患の診断・統計マニュアル」(DSM-5)の基準を用いる。
・PTSDの診断は、死や暴行(強姦)、重傷を実際に負った出来事か、その可能性のある出来事への遭遇が要件となります。以下のいずれかまたは複数のケースに当てはまった場合に起こります: ・心的外傷を伴う出来事を直接体験した場合
・心的外傷を負うような出来事が他人に起こっているのを実際に目撃した場合
・身近な人が心的外傷を経験した、または脅かされたと知った場合
・心的外傷の詳細を繰り返し目にしている(例えば、心的外傷の現場に最初に駆けつけた人など)
このような体験をした後の問題が1ヶ月以上続き、社会や仕事の場での機能に大きな問題が生じ、人間関係に悪影響を及ぼす場合は、PTSDの可能性があります。
これはPTSDの”定義”ではなく、”診断要件”です。”誹謗中傷と感じられるできごとを、長期にわたり反復的に体験”というのは、この診断要件からは外れています。似たような症状が出ていたとしても、要件に当てはまらなければ、別の診断名になるのではないでしょうか。
念のため、原文の画像を貼り付けさせていただきます。
そして、同じページのしたにある”治療法”では、”主な治療法は心理療法ですが、薬物療法も行われます”とあります。さらに、ここにあげられた3つの心理療法ーー認知療法、暴露療法、EMDR(トラウマに遭遇した時の反応を変える療法)ーーの中で、フラッシュバックに効果があるのが”暴露療法”だそうです。
暴露療法:この行動療法は、怖いと感じる状況や記憶に安全に向き合い、効果的な対処法を身につけるためのものです。特にフラッシュバックや悪夢に効果があります。また、バーチャルリアリティプログラムを用いて、トラウマを体験した環境に再び入ることができる方法もあります。
ちなみに、この3つの療法は、厚生労働省のホームページでも書かれてあります。フラッシュバックの改善をしようと思ったら、”怖いと感じる状況や記憶に安全に向き合い、効果的な対処法を身につける”ことが重要であるそうです。原因物を取り除けば改善するような、簡単な治療法ではなさそうです、が。
コロナ・パンデミックが始まって以来、医師・科学者の中には、ビジネスや政治を生業にしている人がずいぶん多くいることがわかり、とても残念です。ファウチ博士に対しても思うのですが、なぜバレないと思えるのでしょうか?専門用語並べてそれっぽく語れば、自分たちよりも知識のない国民は信じるだろう?とでも思っているのでしょうか?
この点で、標準的な一般市民を比べると、日本人の方がアメリカ人よりも権威に騙されにくい、と私は思います。これは何もどっちが優れているか論ではなく、”日本人はダメだ”キャンペーンを行っているメディアに対しての反論です。
ビザが取れたということでも、誤診は明らかですが、誤診であるならば、あのように大袈裟に発表したのですから、同じ規模で訂正する必要がありませんか?この件で、日本国民は、誤情報による嘘の物語が世界中に広まっているのですが、その原因の1つを作った誤報の主には、一体、どのような責任が追及されるのでしょうか?出世して終わりですか? これではまるっきり”ファウチ博士道”。
医師資格の要件、アメリカの弁護士資格のように、適性まで見た方が良いのでは?という気がします。