とりあえずトイレを掃除しろ

とりあえず掃除しろ、トイレを

お前らはそんなことを言われたことがないだろうか?
私は先生などからさんざん言われてきた。
そんな時はこう思っていた。

「ふざけんじゃねぇ!トイレ掃除ぐらいで売り上げが上がるわけないだろうが!」

嘘だった。
売り上げは上がる。

私が間違っていた。

ただ、勘違いしないでいただきたいのはそれまで別にトイレも掃除せず戦場みたいなトイレを放置していたわけではない。

この「トイレ掃除をせよ」とは「トイレを奇麗にせよ」ということではないのだ。

トイレに神様はいる。悔しいが。

まぁいてもいなくてもいいのだが、私はいるのだと決めた。

なぜなら状況を改善してくれたから。
だからお前らもトイレには神様がいると思え。

別に神様でなくてもいい。
妖精でも、天使でも、何なら諭吉や栄一の魂でも、お前がしっくりくるものがいると思って欲しい。

トイレ掃除とはいわば彼らへのマッサージなのだ。
「いつもお客様を紹介してくれてありがとう。」
「常連さんが次の予約を取っていくように思わせてくれてありがとう。」そう思ってマッサージするのだ。

これがトイレ掃除の正体である。
トイレを清潔に保つためというのは嘘っぱちだ。

素手で掃除するのか問題

これも大きな問題だ。
知り合いへの無料の雑談程度であれば、

「汚いかもだし素手でやる必要はないよ。」

と言っている。
しかし嘘だ。お金をいただいてコンサルするときはこう言う。

「素手でやれ。」

こっちが本音だ。
ただ、知り合いには言えない。狂人だと思われたら嫌だから。

もちろんケガをしていたりなどの事情がある場合は素手でやる必要はない。
ただ、手袋をして便器にとりあえず手を突っ込むことはしていただきたい。

なぜ素手がいいのか?便器に手を突っ込むのがいいのか?
それはわからない。

だが実際いいのだ。
色々と説明をつけることはできるが自分には「いいからやれ」と言うことしかできない。

そんなことしてやばくない?

そう思うだろう。
ただこれは習慣としてやるものしかわからないものがあることだけは断言しておく。

ちなみに、神様へのマッサージなので毎日行うこと。
トイレが奇麗とか汚いとかは関係ないのだ。感謝を伝える儀式だと思え。

こういうことを言っていると自分が狂ったのかと思うし、昔の自分であれば狂人だと思っただろう。

だがそれが何だというのだ。
そもそも経営者や自営業なんて正直普通の生き方ではない。
その中で上手くやっていけるのであれば進んで狂人にでもなろうというものだ。

一銭もかからず流れが良くなるのであれば、狂うのもまた一興ではないか。
それが商売人の生き方ってもんだ。

最後に、約束だ。

このトイレ掃除はやると決めたら毎日やれ。
ふとした時に忘れても次の日にはしれっとやれ。

大切なのはやり続けることだ。

神様論で言えば神様はいつ止めるかなど初めからわかっている。
そもそもすぐ止める奴にはいいことなどは起こらん。

便器をキュッキュッするくらい1分もかからん。
お金も無料だ。

こんなことすら続けられないやつが何年も商売を続けられるわけがないのだから。


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