見出し画像

かつて自分がいた場所へ

このところなんだか家の修理ばかりしている。電気温水器が壊れて、インターホンが壊れて、腐ったウッドデッキが崩壊してきて、庭の隅にある物置小屋の屋根に穴が開いてきた。そんなのを出来もしないのに四苦八苦していると草は伸び、木は枝を広げ、切っても切ってもキリがない。一体俺は何をやっとるんじゃ? と専門業者に頼めないお財布状況を嘆いていた昨夜、あることを思い出した。

今から35年前、僕は初めて日本を出て異国の地を踏んだけど、その旅の中でいろんな人に出会った。昨夜僕が思い出したのは中国の広州で出会ったイギリス人のカップルで、なんとなく仲良くなって中国から香港を経由してタイまで2週間くらい一緒に旅をした。男のほうはウイルといい、彼女はパティって名前だったと思う。
タイの島でゴロゴロしながら将来の夢みたいなことについて話していて、ウイルは死んだ爺さんが住んでいた築100年位の農家をもらって、そこを死ぬまで直し続けながら暮らしたいと言った。その時の僕は「それの何が楽しいんだ?」と尋ねた。
彼はそういう生き方を優雅とか憧れなのだと答え、ジミー・ペイジもキース・リチャーズも古い農場や城を買って住んでるだろ? 俺の国じゃそういう暮らしは人生の最上の楽しみなんだよ。ボロボロの家だからあちこち壊れるだろ? どこかを直し終わる頃にはまた違うところが壊れてくる。そうやってずっと家を直しながら、犬を飼って、ヤギを飼って、アヒルも飼おうかな。そして質素なものを食って、季節を楽しみながら暮らすんだよ。と言われ、ああそんなもんなのか? とジミー・ペイジを思い出しながら分かったような気がした。
あの二人は今イギリスのどこかの田舎で、爺さんからもらった農家を直しながら暮らしているんかな? と昨夜の僕は思った。

僕は大工仕事は下手だし、何よりもまず好きでない。だから直す作業を楽しいとも思わないし、出来上がったものを前に達成感もない。それでもパソコンに向かってイラストレーターだのフォトショップだのをいじくり回しているより、頭にタオルを巻いて釘を打っている方が「健全」だという気がしなくもない。確かに大工仕事には微塵の達成感もないけれど、パソコンで終えた仕事はそれの100分の1の達成感すらないように思う。

僕はもうウイルの顔もパティの顔も忘れてしまった。住所もどこかに書き留めたはずだけれど残っているのかどうか分からない。でも昨夜はあの頃の自分に戻ったような気がした。あの時は南国を旅して真っ黒に日焼けしてた。今の僕は草刈りと大工で真っ黒に日焼けしている。田舎の片隅で猫たちと暮らしながら古家を直して、質素な食事と季節を味わって暮らすのも、ひょっとすると優雅なことなのかも知れないよ。タワーマンションや白金に住まない優雅もこの世にはあるものだ。

あの旅は僕にいろんなことを教えてくれた。それまでの価値観全てがひっくり返ってしまったような痛快な気がした。帰ってきて29歳になった僕は自分が見てきたことを小説にした。30歳で前の奥さんと別れ、「よし、オレは小説家になるぞ」と腰に手を当てて真っ赤な夕陽に誓った。
旅の事を書いた作品を文学新人賞に送ろうと思ったらテキストの入っていたフロッピーディスクが壊れて読み出せなくなってた。1部だけ印刷した原稿があったが、作品を手直しするためにはもう一度手入力しなきゃいけない。当時はOCRソフトなんてなかったから仕方なく手打ちで入力し始めた。
「面倒くさいなあ、誰かやってくれないかな」
と音を上げてニフティサーブのパソコン通信で「テキスト入力出来る人求む。原稿用紙で200枚程度。謝礼は3万円」って掲載した。そしたらすぐに応募があってその人に頼んだ。それが僕の2番目の奥さんになった順子(たまさん)だった。

大分弁では何かを元あった場所へ戻すことや片付けることを「なおす」という。僕は家のあちこちを直しながら、かつて自分がいた場所へ戻ろうとしているのかも知れん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?