Nora kalejs

2021年の11月に27年間連れ添った妻の順子を亡くしました。あの日から僕のすべてが変…

Nora kalejs

2021年の11月に27年間連れ添った妻の順子を亡くしました。あの日から僕のすべてが変わってしまったように思います。それまで長く続けていたブログをやめたのは彼女と共に歩んだ人生が終わったから。それ以後の僕は「余生」を生きているように思えます。これはその「余生」の記録です。

最近の記事

きみの銀の匙

今日庭の草刈りをしてて見つけた。 きみがいなくなってからいったい何度草を刈ったんだろう。今日初めて刈った場所でもなく、今までに何度も何度も刈った場所に落ちていた。庭へ置いたテーブルの周りに落ちていたなら、そこで何かを食べたときに落としたのかも知れない。蚊のいない季節にはあそこでよく食事をしたっけ。でも拾ったのはきみが畑に使っていた場所。だからきっと、きみが何か薬品か肥料を量るために使ったんだと思う。そうでなければこんな銀器が庭の隅に落ちているわけないもの。 夏に生まれて夏

    • 夕立の上がった小路の水溜りに

      僕は小学校一年から六年までの間、、毎年夏になると夏休み40日のうち30日くらいは金沢八景に住んでいる伯母の家へ一人で泊まりに行っていた。 その家のおっちゃんは市バスの運転手で、おばちゃんは市場の惣菜屋で働いてた。一番上の長男はもう働いていたし、高校生の次女はあんまり家にいない人だった。末っ子の次男が中学生で僕と時々遊んでくれたけど、夏休みでもバイオリンのクラブ活動に熱心だったから、昼間はほとんど家に人がいなかった。だから僕はいつも一人でゴロゴロして、小銭を片手に片道30分歩い

      • かつて自分がいた場所へ

        このところなんだか家の修理ばかりしている。電気温水器が壊れて、インターホンが壊れて、腐ったウッドデッキが崩壊してきて、庭の隅にある物置小屋の屋根に穴が開いてきた。そんなのを出来もしないのに四苦八苦していると草は伸び、木は枝を広げ、切っても切ってもキリがない。一体俺は何をやっとるんじゃ? と専門業者に頼めないお財布状況を嘆いていた昨夜、あることを思い出した。 今から35年前、僕は初めて日本を出て異国の地を踏んだけど、その旅の中でいろんな人に出会った。昨夜僕が思い出したのは中国

        • 縁みたいなもの

          一昨日の5月12日で僕は東京を離れて13年が過ぎた。それでこの伊豆の家に住むことになった「縁」みたいなものについて考えていたのだけれど、昔ブログに書いた記事のことを想い出したので時系列をリライトしてみました。 今から22年前の2002年。僕は東京の大森に住んでいてホンダのシティという車に乗っていた。当時でさえ相当に型遅れの大古車だったけれど、走行距離が少なくて程度のいいタマだった。惜しむらくは屋根の塗装が見るも無残にハゲている事で、それ故にほとんど捨て値で売りに出されていた

        きみの銀の匙

          清く倹しく美しく

          家に設えた何十万円もする薪ストーブが自慢の夫婦がいる。都会からやって来て田舎暮らしを演出するには、何はなくとも薪ストーブなんだそうな。その家に招待されると、パチパチと燃える火の前で誰もが延々と薪ストーブに関する蘊蓄を聞かされる。そういえば僕も一度うんざりするほど聞かされたっけ。確かに薪ストーブは暖かい。そりゃ暖かいよ、家の中でばんばん火を焚くんだから。 でも薪は買うととても高価なのでひと冬運用するには莫大な経費が掛かる。そもそも薪ストーブなんてのは電気もガスも燃料もろくにな

          清く倹しく美しく

          ひでじのこと

          ひでじの様子がちょっとおかしいな? と最初に気づいたのは、たしか10月の初め頃だったと思う。うちの猫たちは外から帰って来ると「ただいまー」って挨拶をする。僕はそれに応えて「どこ行って来た?」「何して遊んできた?」って尋ねながら身体を撫で回してあげる。 ひでじが帰って来たときの「ただいまー」って声が妙に大きい声だな、と思ったのが始まりだった。庭で会ったときも猫たちは挨拶をしながら寄ってくる。そんなときもひでじは叫ぶといっていいほどの大声で僕に何かを訴えていた。もともと身体が大き

          ひでじのこと

          四十年前の町から

          9月の終わり頃に「四十年前の町へ」という記事を書いた。ホームベーカリーで出来損ないのパンを焼いた日に、ふと順子が学生時代にアルバイトをしていたパン屋さんのことを思い出し、彼女の大学時代の友人にそのパン屋さんの所在を教えてもらったという話。それはつくばにある老舗のパン屋さんで屋号は「モルゲン」さん。でもそのモルゲンさんは8月から休業していて何度電話してみても繋がらなかった。それで僕はお店の店主さん宛てに手紙を書いた。手紙というのがなんとも前時代的というか、昭和生まれの発想だと思

          四十年前の町から

          赤に別れを

          車の塗装が臨界点に達しつつある。 赤はホントに駄目だよね。新しい時はきれいなのに劣化が激しい。車を楽しみと思わない人は赤なんて買っちゃダメだ。と言わなくても赤なんて買わないか。だって日本の道路を走ってる車の7割くらいは白と黒と銀だもんな。 僕は昔から赤い車は好きだったし、このフィットは順子も「赤だとかわいいね」って言ったんで買った。うちへ来て今年で5年。初年度登録からは15年。まあ15年も紫外線に晒されていたらどんな色でも退色はするよな。 もう数年乗るなら赤で塗り直してもい

          赤に別れを

          バナナはどこへ行ったかな ♪

          田舎のスーパーには珍しく普通より小さいバナナを見つけたので買って来た。小さいといってもモンキーバナナほど小さくなくて1本が12~3センチ。でも味はどこかモンキーに似て濃密だった。こりゃうまいや。 タイのバンコクから夜行列車で一晩走ると、翌朝マレー半島のほぼ中央部にあるスーラターニという小さな町に着く。駅から港までソンテウ(乗り合いバス)で30分。そこからオンボロ船に揺られて小1時間。半島東側のシャム湾にはコ・サムイが浮かんでいて、僕は初めてタイへ行った34年前、その島で17

          バナナはどこへ行ったかな ♪

          星の降る夜

          午前1時半。こんな時間だからそろそろ寝るか? という人はいっぱいいても、こんな時間から一日が始まる人はあんまりいないと思う。僕が一日中座っている机の前には大きな窓があって、こんな時間に部屋の灯りを点けずにいると満天の星空が見える。夏の間はデッキに日除けをつけていたので見えなかったけれど、一昨日それを外したから机に座ったままでも部屋の灯りやパソコンを消せば星が見えるようになった。 高校生の頃、月に一度くらいだったけど、渋谷の東急文化会館の一番上にあったプラネタリウムに行ってい

          星の降る夜

          いつか書いた日記

          僕は毎朝散歩をする、という優雅な習慣を持っている。今朝いつもの道をいつものように歩いていたら、枯れて枝ばかりになった銀杏並木の下でウグイスの声が聴こえてきた。ホーホケキョ、とそれは美しい声が。 どこにいるんだろうと見上げても、冬枯れの銀杏にはカラスぐらいしかとまっていない。そもそもこんな冬にウグイスが鳴くのか? だけどその声は絶え間なく聴こえてくる。ホーホケキョ。歩道の隅に皺くちゃの紙袋をぶら下げて、やっぱり皺くちゃの服を着た爺さんが立っていた。その爺さんは口を不思議な形に歪

          いつか書いた日記

          書かなくなり考えなくなり

          運営側から「一定期間更新がないと云々」みたいな通知が来たのでブログを閉じました。昨年の12月31日に「もう書きません」と告知してから9か月。みなさんありがとうございました。 仕事もやめ、ブログもやめ、僕はめっきり文章を書かなくなった。ものを書くことは考えることでもある。だから書かなくなるということは考えなくなること。考えなければ頭はどんどん退化していく。この数年僕は自分の頭の退化をしみじみと実感しながら、もう頭なんて使わないでいいやと思う。 あんなにも、来る日も来る日も何かに

          書かなくなり考えなくなり

          浮世から遠く離れて

          一昨日の夜に熱海へ行って、行った理由はともかく夜の熱海なんて車で通過することはあっても街を歩いたのなんて一体何年、いや何十年振りなんだろうかと思った。平日だったからそれほど混んではいなかったけど、それでも夜7時の熱海は浴衣姿やカップルで賑わっていた。 僕は毎日の暮らしの中で夜7時にベッドへ入る。その時間になるとわが家の周りはしんと静まり返って、月のきれいな夜には銀色の月光がしんしんと庭に降り注いでいる。だけど人の集う街の夜7時はこんなにも華やかなんだな。そりゃそうだよなと僕は

          浮世から遠く離れて

          四十年前の町へ

          何日か前にパンを焼いた。 焼いたといっても僕は材料をホームベーカリーに放り込んでスイッチを押しただけ。だから焼いたのは僕ではなく機械だ。2年前の小麦粉。2年前のドライイースト。2年前のケーキマーガリン。そして2年前の砂糖と塩。さすがに牛乳だけは2年前ではなく最近買ったものを使った。 焼きあがったパンはパンの体を成していなかった。まったく膨らまずに鏡餅みたいな形のパンになった。やっぱりそれだけ古い材料を使ったらそうなるよな。そんなの初めから分かっていたことだ。食べてみたけれど

          四十年前の町へ

          夢を見て思い出したあの子のこと

          昨夜のことだけど僕の娘が訪ねて来る夢を見た。 もちろん僕には子供なんていない。それなのに夢の中では父娘であることが当たり前で、「これからどうするの?」みたいなことを心配する娘と会話している自分がいた。何を話していたのかも、その娘がどんな顔をして幾つだったのかも思い出せないけど。 僕は32歳から45歳までの13年間、タイの民間団体がやっている里子支援のプログラムに参加したことがある。タイにはこうした支援の協会が幾つもあるけれど、僕が申し込んだところは為替のレートに関わりなく

          夢を見て思い出したあの子のこと

          廃別荘の崩れた物置の中で

          とらじは先週の土曜日に折れてしまっていた下の犬歯2本を抜歯した。歯というのは表面を固いエナメル質に覆われているけれど、ポキッと折れたら中の象牙質や歯髄が露わになってしまう。たぶん外暮らしの間の喧嘩で折れたんだろうが、レントゲンで見ると神経の部分が腐ってしまい、そこから歯根にかけて深く慢性的な炎症を起こして下顎の骨にまで影響が出ていた。うちで保護した時から時折口臭がひどかったのもそのせいだったんだな。 手術当日の土曜と翌日曜日は入院になり、月曜日の夕方になってようやく退院でき

          廃別荘の崩れた物置の中で