夢を見て思い出したあの子のこと
昨夜のことだけど僕の娘が訪ねて来る夢を見た。
もちろん僕には子供なんていない。それなのに夢の中では父娘であることが当たり前で、「これからどうするの?」みたいなことを心配する娘と会話している自分がいた。何を話していたのかも、その娘がどんな顔をして幾つだったのかも思い出せないけど。
僕は32歳から45歳までの13年間、タイの民間団体がやっている里子支援のプログラムに参加したことがある。タイにはこうした支援の協会が幾つもあるけれど、僕が申し込んだところは為替のレートに関わりなく毎月300ドルを送金する。そのお金はある特定の子の生活費や学費に使われて、僕には子供の性別と名前以外は何も知らされず、年に2回協会の報告書と、その子の書いた手紙や絵や、近況を知らせる写真が送られてくる。
僕が支援した子の名前はポム。本名はとても長い名前だったけど忘れてしまった。支援開始当時5歳の男の子だった。貧困の中で両親を失くした彼は僕の送金したお金で民間の施設に入り、小学校へ入学し、中学高校と進んで大学進学は本人が望まなかったから2005年で送金は終わりになった。
その時彼から「今までどうもありがとう」という内容の長い長い手紙が届いた。タイ語で書かれた自筆の手紙と、それを協会の人が翻訳した英文のタイプは、たどたどしいひら仮名で「にほんのおとうさんへ」という表書きの封筒に収められていた。
もちろん彼は僕の顔も、僕が誰なのかも知らない。知っているのは僕の本名と日本人であるということだけ。普通はそれで一切の縁は切れてしまうんだろうけど、それから数年してまた彼から手紙が届けれられた。協会に無理を言って頼んだらしい。
ポムは高校を卒業後日本の部品製造会社の現地工場に就職し、そこで知り合った女の子と結婚することになったと写真を同封してきた。僕は送金をしている間、何度も彼に会ってみたいと思ったが、協会は決して彼の所在を教えてはくれなかった。そういうルールなんだから仕方ないんだけど。
「結婚すると聞いてとても嬉しい。僕は今もこれからもきみの幸せを願っている」と短い返事を書いて協会宛てに送った。そしてそれきりポムと文通をすることもなくなった。お互いの連絡が途絶えても、願わくば彼の心のどこかに、顔も知らない異国人の僕が思い出になっていたらいいなと思う。
僕がなぜそんな里子支援をしたかというと、20代後半から数え切れないほど足を運んだタイで、たくさんの人に親切にされ助けられたからだ。だから旅行者として僅かな金を落とすよりも、確実にタイの誰かの為になる手段で恩返しがしたかったから。それは僕の自己満足に過ぎなかったのかも知れない。でも僕の投じた僅かなお金がひとりの不遇な男の子の人生に、少しでも助けになったのなら自己満足でも構わなかった。
そうして僕は5歳の少年が日本企業の工場へ就職できるまで支援をしたけれど、別に子育てをしたわけではない。子供を育てるなんの苦労も負わず、ただ毎月300ドルを送っていたに過ぎない。それが僕の唯一の子育てだ。
順子がいなくなってから、もし僕たち夫婦に子供がいたらどうしていただろう? と考えることが幾度かあった。普通に考えれば子供は親よりも長生きする。そして普通に考えれば、猫は飼い主よりも早く空へ還る。この違いで僕の残りの人生は大きく変わって来るだろうなと、そんな気がした。
もし僕と順子の血を分けた息子や娘がいたなら、七匹の猫たちが空へ還ったあとも彼や彼女のために、自分の生きる意味や理由を見つけることが出来たかも知れない。そんな気がした。
七つの子はあと何年生きるのだろう?
最後の子が空へ還った翌日から僕はどうするんだろう。
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