浮世から遠く離れて
一昨日の夜に熱海へ行って、行った理由はともかく夜の熱海なんて車で通過することはあっても街を歩いたのなんて一体何年、いや何十年振りなんだろうかと思った。平日だったからそれほど混んではいなかったけど、それでも夜7時の熱海は浴衣姿やカップルで賑わっていた。
僕は毎日の暮らしの中で夜7時にベッドへ入る。その時間になるとわが家の周りはしんと静まり返って、月のきれいな夜には銀色の月光がしんしんと庭に降り注いでいる。だけど人の集う街の夜7時はこんなにも華やかなんだな。そりゃそうだよなと僕は変な感慨に浸っていた。
東京から来た人と2時間ばかり話をして、車の停めてある駐車場へ歩きながら、そういえば帰省とか、見舞いとか、冠婚葬祭とか、そういう遠出ではなく純粋な「旅行」を最後にしたのはいつだったろうって考えた。
猫たちが心配で旅行なんてできないと言うと、「これからこの子たちも歳をとってあちこち悪くなる。看病や介護が必要になったら本当に行けなくなるよ。泊りで出かけられるのは猫たちが元気なうちなんだよ」と順子はよく言っていたっけ。
旅行かあ、と思う。
だけど灯台下暗しで伊豆に住んでいると毎日が旅行みたいなものなんだよ。年に2回友人と会うために南信州へ行くけれど、東京で暮らしていた頃と違って非日常感はほとんどない。何十年も通い続けた伊那谷の景色を目の当たりにしても、以前のように感極まることはなくなってしまった。なんだよ自分ちの周りとたいして変わんないじゃん、って。
やっぱり日帰り旅行がいいな。泊まると猫たちを想って帰ることに悶々としてしまう。そして朝の4時とか5時に宿を出て一目散に走り、午前8時くらいには家へ戻って来ちゃう。だったら日帰りのほうがストレスなくて済むよ。猫たちの夕飯までに帰れなくてもね。そして名所旧跡巡りも、食べ歩きもしない僕の場合、日帰り旅行じゃなくて日帰りドライブなんだろう。それにこの数年で宿代も高くなったから、宿泊費を使わなけりゃ猫たちにおやつたくさん買ってあげられるしね。
今の僕には猫たちの世話以外やらなければならないことはほとんどないし、どこかへ行こうという気も、何かを楽しもうという気も、あまりなくなってしまった。だから夜7時にお楽しみはこれからだと賑わう熱海や東京やどこかの都会から遠く遠く離れて、山の麓でひっそりと、息をひそめ、祈るように、猫たちと布団に入る浮世離れの暮らしを僕はこれからも続けていく。長い長い道を歩いて辿り着いた人生は、そんな場所だったんだなとしみじみ思う。
でも10月か11月になったらつくばへ行ってみようと思ってる。
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