四十年前の町から
9月の終わり頃に「四十年前の町へ」という記事を書いた。ホームベーカリーで出来損ないのパンを焼いた日に、ふと順子が学生時代にアルバイトをしていたパン屋さんのことを思い出し、彼女の大学時代の友人にそのパン屋さんの所在を教えてもらったという話。それはつくばにある老舗のパン屋さんで屋号は「モルゲン」さん。でもそのモルゲンさんは8月から休業していて何度電話してみても繋がらなかった。それで僕はお店の店主さん宛てに手紙を書いた。手紙というのがなんとも前時代的というか、昭和生まれの発想だと思うんだが、こういうとき若い人はどんな手段を取るんだろう?
突然のお手紙で失礼いたします。自分は静岡に住んでいる者で、私の家内は1983年につくばの図書館情報大学に入学し、その年開店されたモルゲンさんでアルバイトをしていました。パンのおいしさは私と結婚してからも折に触れて聞かされていて、20年以上前ですが一度だけ二人でお店を訪れたこともあります。その家内は一昨年の秋に57歳で急逝しました。11月の命日にモルゲンさんのパンを供えてあげようと思い家内の級友にお店の所在を尋ねたのですが、8月から休業しているそうで電話も繋がらず、こうして手紙を書いた次第です。いつかパン屋さんを再開されることを願っています。
忘れてしまった漢字をネットで調べながら、そんな文面で何年かぶりに手紙をしたためた。今では自分の名前と住所以外に文字を書くこともなくなってしまったな。手紙をポストへ投函し返事を待っていた、あのちょっと切なくてちょっとわくわくした日々はいつだったんだろう? ともかく僕は店主さんへ届きますようにとお店の住所宛てにその封筒を送った。
その数日後、モルゲンの店主さんから電話がかかってきた。
店主のKさんは順子のことを覚えていてくれた。お店を開いて初めて雇ったアルバイトだったからかも知れない。順子と同じ大学の女の子がもう一人一緒にバイトしていたそうだ。その頃はKさんもまだ独身で、仕事が終わったあとに皆で食事に出かけたりしていたのでよく覚えていると教えてくれた。
僕は電話で話をしながら感極まって泣きそうだった。ああこんな、時も場所も離れた別の土地や世界にも、彼女が生きていた痕跡や思い出がちゃんと残っているんだなって感無量だった。
電話の向こうでKさんが、今は週に2~3日、それも午後の僅かな時間だけ食パンだけを焼いて店を開けていると教えてくれたので、「じゃあ買いに行きます」と小躍りしたら、その日の体調で急に休むこともあるから必ず店が開いているとは約束できない。だからパンを焼いて命日までに届くよう送りますよと言ってくれた。僕はもう受話器を耳に当てたまま何度も何度もお辞儀してしまった。そして今日、Kさんの想いが詰まったパンが届いた。箱を開けたときにふわっと漂ってきた香りは、優しい人の心の香りだった。順子はどんなに喜んでいるだろう。
Kさんが電話で昔を思い出しながら順子の話をするとき、きみは誰にでも愛される人だったよな。きみのことを悪くいう人には会ったことがないよな。と思いながら聴いていた。
なあ順子。19歳のきみが愛したパンだよ。
モルゲンのKさんが送って来てくれたんだ。
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