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いつか書いた日記

僕は毎朝散歩をする、という優雅な習慣を持っている。今朝いつもの道をいつものように歩いていたら、枯れて枝ばかりになった銀杏並木の下でウグイスの声が聴こえてきた。ホーホケキョ、とそれは美しい声が。
どこにいるんだろうと見上げても、冬枯れの銀杏にはカラスぐらいしかとまっていない。そもそもこんな冬にウグイスが鳴くのか?
だけどその声は絶え間なく聴こえてくる。ホーホケキョ。歩道の隅に皺くちゃの紙袋をぶら下げて、やっぱり皺くちゃの服を着た爺さんが立っていた。その爺さんは口を不思議な形に歪めて空を仰いでいる。ホーホケキョ。爺さんの口元からウグイスの声が聴こえる。

この寒空の中直立不動で、爺さんはホーホケキョと口笛を吹いている。しょぼくれた目で空のどこかを見つめながら、繰り返し繰り返しホーホケキョと。
爺さんの薄く、白くなった少ない髪が風に揺れていた。爺さんがどこで生まれどう生きてきたのか? 爺さんの人生に何があったのか? 爺さんはウグイスの鳴き真似をいつどこでどうして覚えたのか? 皺くちゃの紙袋をぶら下げて直立不動で口笛を吹く爺さんの眼には、その全てが今や意味を無くしているように僕は思った。

おかしな爺さん。

そのひと言で片付けられてしまう爺さんの中で何かが壊れ、そしてその僅かな瓦礫の上で呆けたように佇みながら口笛を吹く爺さん。何度聞いてもウグイス以外の何物でもないほど美しい爺さんの口笛。しかし今や賞賛や感嘆とは無縁になってしまったホーホケキョ。

本当に美しいものは喜びの中などには無いのだ。
本当に美しいものは哀しみの中にこそある。

2009年冬 東京で

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